案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年7月8日月曜日

小海線清里駅

小海線の「牛と八ヶ岳高原号」の写真1枚で次は上田丸子別所線に戻すつもりでしたが、尾ヒレが拡がり夢の「八ヶ岳高原号」が走っていた1970年の”時代の変わり目”についてちょっと触れてみました。

1970年 SLブームの到来
1970年 団塊世代が大学卒業
1970年3~9月 大阪万博開催
1970年頃 マイカーの普及拡大。
1970年10月~ 国鉄の個人旅行キャンペーン「ディスカバージャパン」がスタート。
1972年10月~ 小海線無煙化で「八ヶ岳高原号」の蒸機C56牽引が終わる。

1968年秋に私はハイカーとして清里を訪問、1970年はC56八ヶ岳高原号の撮影で訪問、そして1971年にはマイカーで小海側から清里までの撮影で訪問。この時代の変貌とともに賑わって行く清里や野辺山駅の写真を時系列に並べてみました。

この頃、ディスカバージャパンのスタートで清里駅も賑わい始めたが、その後のバルブ清里の異常な大化けに比べると清里駅はまだまだ昔ながらでよき時代であった。
夢の「八ヶ岳高原号」の消滅とともに良き清里の時代も消えてしまったと言えるかも知れない。

1968年の清里駅 1968.9.23

静かで高原鉄道の雰囲気漂う清里駅。 1968.9.23

1968.9.23


  野辺山駅の上り「八ヶ岳高原号」 1970.8.16


上り「八ヶ岳高原号」 野辺山-清里 1970.8.16


野辺山 1971.8.15

ディスカバージャパンで賑わう清里駅 1971.8.15

SLブームのの到来。小海線清里-野辺山 境川橋 1971.8.15

2 件のコメント:

代打・山本 さんのコメント...

小海線とは全然関係ないコメントで申し訳ありません。
数日前から昭和39年当時の8ミリ映像がユーチューブに投稿されており、下記はその一例ですが、越後交通長岡線に始まって栃尾線、頚城鉄道、茨城交通茨城線などのとても貴重な映像の目白押しで、見ていると寝不足になること請け合いです。

ほかにも花巻電鉄や日光軌道線などいろいろあります。

https://www.youtube.com/watch?v=X7EvltW4YPU

katsu さんのコメント...

代打・山本さん
最近、FBでたびだひ紹介されている台湾発の日本の地方私鉄動画、
今朝も東北地区の松尾鉱業、秋田中央、雄勝・横壮線他を見ていました。
長岡線も出てきました。大変貴重なカラー動画ですね。
日本の遺品が台湾の人に買われたのでしょうか。