早朝でまだうす暗い大館駅、奥羽本線青森行き鈍行列車が発車する。1966.03.03
昭和41年3月、朝の通学列車が高校生で賑わっていたのは、そうか、団塊世代の第一陣がこの春卒業し、団塊世代の二陣三陣が高校在学していた時代であった。この頃、溢れんばかりの朝の高校生たちを各地で見たのは、ちょうど高校の生徒数がピークの時代であったというわけだ。
C6130
弘南鉄道 モハ2250の編成。弘前 1966.03.03
7時50分、列車は待望の弘前駅に到着した。前から来たかった文化の都弘前。列車から高校生や通勤者がどっと降り駅のホームは活気に溢れていた。反対側一番奥のホームでは弘南鉄道の電車が頻繁に発着していた。この翌々日あたりに、仲間の一人がまた矢立峠越えを撮りに奥羽本線に舞い戻ってきたのを知ったのは最近であった。
この日の大館発鈍行列車の峠越えの旅日記を読み返してみた。
しばらく田んぼの平地を走ると真っ白い蒸気を吐きながら列車はやがて上り勾配へ向かった。陣馬から秋田・青森県境の山並みを越え津軽湯沢、碇ヶ関といった辺りは雄大ではないが川に沿って走る絵になりそうな風景であった。しばらくの間補機がつく。交換の貨物列車もどれも補機がついていたようだ。仲間の田辺さんはこの辺りをすっかり気に入って、最終日(翌日から各自単独行動であった)の一日をここにかける決意をしたようだ。
50年後、この峠越えの写真が田辺さんのネガに残っていたのを見つけた。
碇ヶ関 撮影:田辺多知夫 1966年3月
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