筑波駅の北方をもう一度取り上げてみます。
加波山を背景にした紫尾(しいお)駅 1987.3.28
紫尾 - 酒寄 1987.3.28
真壁から筑波方面へ向かい常陸桃山を過ぎると、筑波山が背後に迫ってきて紫尾(しいお)に到着する。この先の木立や竹藪の脇などをカーブする辺りが、最も好きな撮影ポイントであった。
筑波駅の北方
筑波~岩瀬の中間にある石の町 真壁
廃線直前の真壁駅 1987.3.28
筑波山を背景に夕暮れを行く列車。樺穂あたりから見る 筑波山が魅力的であった。筑波北方の中心地 真壁近辺には紫尾(しいお)、常陸桃山、樺穂(かばほ)、雨引 といった素敵な駅名が多いが、この山裾一帯は昔から人を惹きつけける土地のせいで旧所・名跡が多いのだろう。夕暮の樺穂を訪れてみた。樺穂 1987.3.22
樺穂(かばほ)
東飯田-樺穂 1987.3.28
筑波山を背にして 東飯田 1987.3.28
2 件のコメント:
こんにちは。
筑波鉄道の記事を拝見させて頂きました。
筑波山に登ったことはあり、お写真に移る山容にも見覚えがあるのですが、感覚的にはなかなかどこに鉄道が敷かれていたのかが掴めず、私の中では夢の存在のように感じています。
常磐線から分岐する中小の私鉄路線にも、素晴らしい風情のものが多くあったと思えば、訪ねるチャンスがあったならばと悔しくなります。
筑波鉄道、鹿島鉄道、そして日立電鉄、関東でも廃止される一方、残念ですね。
素晴らしいお写真お数々、楽しく拝見させて頂きました。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
風旅記さん
昭和30年代まで常磐線沿線には風情溢れる路線が多かったです。
そういう時代だったのですね。
昭和40年代に入ってどこもすっかり変貌しましたが、
関東鉄道鉾田線(鹿島鉄道)に残っていた魅力は意外でした。
私は10年前頃の鹿島鉄道廃線直前までその魅力に気がつきませんでした。
ちょうど銀塩写真がデジタル写真全盛の時代に合わせたように、
常磐線沿線の私鉄路線の魅力も消滅したような気がします。
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