筑波山の梺にのどかな駅や沿線風景があった。
廃線を迎えた3月、春の陽気もあれば冬のような日もあったのは、今と変わらない。
筑波駅のとなり上大島駅では貨物駅が物置小屋代わりに使われていた。草に埋もれた線路に惹きつけられる。 1987.3.22
ドラム缶、タイヤ、肥料など農業倉庫のようになった貨物駅。昔は貨物の出入りで栄えた良き時代があったのだろう。
上大島駅全景 1987.3.22
こんな貨物線のある駅をNゲージで作ってみたかった。
筑波山麓の春を走る。 筑波-常陸北条 1987.3.22
6 件のコメント:
筑波線のローカル駅風景、過去記事から改めて拝見させて頂きました。
通勤圏から外れ、筑波駅以外は観光客と無縁だったせいか、その分「地元密着型」路線という印象です。だからこそ廃線に追い込まれた訳ですが・・・
私は樺穂や常陸北条に軸足を置いて徘徊したことがありますが、上大島や常陸小田の風景も、屋根の低いしかし堂々とした駅舎と相俟って素晴らしかったですね。
地元で当線を再認識する声が多数挙がっているようですが、単なるノスタルジーではなく、地域密着型路線がもたらす恵みや失った場合の代償などに思いをはせて欲しいですね。
ED4012さん
それまで関心がなかった筑波鉄道を撮るきっかけは上大島や常陸北条などの駅舎でした。まもなく廃線で貴重な筑波の各駅を撮っておかねばと通い続け、そして裏筑波の沿線風景のすばらしさに気付いた次第です。
常陸小田駅の近くは廃線跡を潰して城跡公園になったようですが、廃線跡をとりこんだ城跡公園にして地元に筑波鉄道の想い出を残したらよかったのにと思います。
今は踏切の新規設置が原則認められないので連続立体交差にする必要があり、廃線の復活は
極めてハードルが高い。一度失ったものは二度と戻ってはこないのです。
置き猫さん
人が歩く廃線跡になぜ踏切が必要なのでしようか。
今、廃線の復活は考えられないと思います。
ED4012さん
間違えました。筑波駅の北方の沿線は裏筑波ではなく北筑波ですね。
>地元で当線を再認識する声が多数挙がっているようですが
こちらへの返信です。廃線になったら後年に再評価されても再び作るのは難しいよと。
遊歩道には踏切は必要ないけれど、BRTだと専用道側に一般車の侵入を防ぐ遮断機があったりしますね。
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