案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年10月26日木曜日

朝の金沢 危ういネガの再スキャン

55年前に撮ったネガもいよいよカールが始まってきました。今になってみると7年前のスキャンでは不満ありで、いずれネガ廃却する前にもう一度しっかりスキャンをやり直したいもの。そんなことを考えるとスキャンの作業はいつまで経ってもきりがないものです。

朝の金沢駅。1962年8月 今月に再スキャンしたネガ
国鉄七尾線で羽咋へ向かい、羽咋から出ていた北陸鉄道能登線を撮りに行く朝の金沢駅の1枚。背後の時計は6時15分、七尾線の金沢発は7時18分で、駅前の宿を出て1時間も前に駅に来ていたことになる。朝陽を浴びたC57の美しいこと。まだシールドビームなんて嫌なものが付いていない時代であった。影に写った自分の姿はまだ10代であった。

空が広い金沢駅。


金沢の駅前。1962年8月 

4 件のコメント:

#9999 さんのコメント...

背後のトキ15000形やト1形の積載方法に興味を引かれました。

左端のトラ45000形が石炭15t分の容積ですから、手前のト1形に10t分の石炭を積むとこうなるのは納得。
石炭車の配置されていない地域でのこの様な石炭輸送は初見です。

今と比べれば自由に撮影ができた時代、目に付くものは全て撮っておくべきでした。

katsu さんのコメント...

#9999さん
恐れ入りました。私には思いもよらない大変な観察力。
確かにある時代を何でも撮っておくべきですね。

esehoku さんのコメント...

この頃の金沢は、まだまだ汽車が多かったんですね。
撮影年月をみると、やっと北陸トンネルが開通した時代ですか…。
木之本ルートが柳ヶ瀬線で残り、糸魚川から直江津までは海沿いの旧線が連続していた頃ですね。
金沢電化もまだですか…?
金沢駅前も市電が行き交い、見ると「青電」まで来ていたんですね。
私はまだ物心つく前の時代ですが(ちなみに三八豪雪の記憶はあります)、懐かしい原風景というのでしょうか、とても感じ入るものがあります。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
今見るとこの頃は長閑でほのぼのとした時代でした。
まだ金沢までは電化されてなく、構内には蒸機が盛んに煙を挙げていました。
駅前も古い町並みで一面に黒い屋根が続いていました。
こんな街並みを何故撮っておかなかったのか悔しい想いです。

今と違ってアナログの旅は情報不足で、行ってみて始めて分かる楽しみがありました。
今のように情報が溢れているのは、旅のドキドキ感を失うような気がします。
今、時刻表だけでアナログの旅をしたらどんなことになるのでしょうか。