案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年10月22日日曜日

西鉄大牟田線

筑豊本線とクロスする辺りで撮った西鉄本線は、肝心の小型電車モ200形4両編成がピンぽけで失敗、モ100形3両編成が写っていたのが救いであった。

朝倉街道-筑紫   1967.3.6


筑豊本線の築堤から撮った直線区間を走る西鉄大牟田線。モ500形連接車。

小型電車モ100形







4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

今も関西私鉄とともに隠れファンなのが西鉄です。クロスシート車の面影が残る100形や、戦前流電の流れをくむ旧600形改造の1300形、美しい原形300形、どれもいいですねぇ~

katsu さんのコメント...

Cedarさん
私には大手私鉄の電車はよく分かりません。
調べてキャプションを入れるべきところ、さぼってしまいました(泣)

狂電関人 さんのコメント...

katsuさま

沿線住民として、一番の悔い残りが500形の写真が無いことなんです。
筑豊本線築堤からのカメラの向きは、まさしく我が母校である筑紫高校方面に
向いているのも、また凄くこの写真に吸い込まれる所以です。
九鉄のロマンスカーだった301形と311形でしょうか、丸急行看板も誇らしげに
颯爽と走る姿が良いです。(301形が電関人の一番のお気に入りでした)

katsu さんのコメント...

狂電関人さん
筑豊本線築堤から撮った500形の写真を見て語って戴きありがとうございました。
雄大でスケールの大きいこちらに母校があったのですか。
ここを撮った時は全く地理感覚がなく筑豊線を追っていたら西鉄が現れました。
睡眠不足と空腹でフラフラになりこの辺で切り上げ帰路につきました。