案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年10月14日土曜日

昭和38年の町田駅

先輩のアルバム・シリーズ。
1枚目の写真は小田急 新原町田(今の町田)駅で、今の町田からは想像もつかない長閑な風景であった。そう言えば新原町田のホームに立つと駅の南西部に田畑が拡がっていた記憶がある。

新原町田止り、上り1652+1602 1963.4.28  先輩のアルバムの1枚。

以下はこの頃の小田急と国鉄横浜線風景。
1963~1964年 撮影:田辺多知夫氏 
横浜線のC58。 小田急新原町田駅は横浜線から今より離れているように見える。

 行き交う電車と田んぼで遊ぶ子供たち。

新原町田駅の南側、境川沿いの自然豊かな一帯。

ホームから見た森野住宅方面。

新原町田駅を発車して横浜線をオーバクロスする1900。

横浜線原町田駅。

2 件のコメント:

伊豆之国 さんのコメント...

地元住民なので投稿させていただきます。
私が町田市民になったのは、この写真から15~16年後の昭和54年なので、既にその頃にはベッドタウン化が進んで30万都市に発展していて、わずかに相模大野寄りにわずかに空き地がある程度になっていました。この写真に見えている森野住宅の、線路に斜めに向いて立ち並んでいる各棟は、今では周りに樹木が生い茂って木陰の中に隠れていますが、建物もその並び方も写真の頃と変わっていないように見えます。森野住宅と線路を挟んだ北西側、52号の陸橋との間には、市役所が引っ越してきて、風景がすっかり変わっていますが、既に複線分が確保されているように見える陸橋の両側の石垣の形は、"Street View"で見ると、こちらも写真に出ているのと面影を残しているように見えます。
JR町田駅が今の場所に移転したのは、私が町田市に引っ越してきたその翌年で、元の「原町田駅」時代の駅舎も、まだ走っていた73系電車と共にはっきり記憶に残っています。駅の移転について、小田急と直接つなげると、原町田駅周辺や、小田急との間の「マラソン道路」と呼ばれた商店街が強く反対し、結局今の場所になったのは、いかにも中途半端で、小田急との乗り換えには改札を出てから「丸井」の横の長い連絡通路を歩かされ、また元の原町田駅の跡の近く(以前「東急ハンズ」が入っていたビル)にも出口が作られることらなったのですが、改札に出るまでに長い通路を歩かされて、こちらにも不便を強いられ、どうにも虻蜂取らずになってしまったのでした。
町田駅の南側、境川を渡った先は県境を越えて神奈川県相模原市に属し、十数年前までは飲み屋や風俗営業の店が立ち並んでいて、少々怖い場所でした。今ではラブホテルと思しきホテルが数軒残っているほかはこうした店は姿を消し、高層マンションが林立して、雰囲気が一変しました。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
地元住民ならではの町田の現状をありがとうございました。
写真の横浜線町田駅は原町田駅だったのですね、訂正いたしました。

森野住宅から小田急町田駅方面をGoogle Earthで見た今と比較してみました。、
駅周辺で当時の面影を残すのは森野住宅くらいでしょうか。