昭和37年3月に父が撮ってきてくれた山交甲府駅のネガが行方不明で、残されていたのは小さなベタ焼の数コマであった。ベタ焼きからスキャンした不鮮明な画像から山梨交通を偲んでみました。
この写真の3か月後、1962(昭和37)年6月いっぱいで山梨交通鉄道線は消滅した。
この鉄道の情緒あふれる情景と魅力的な訪問記がRMライブラリー5 花上嘉成著に収められています。
甲府駅 1962年3月
2階建てのビル「山梨交通電車のりば」の中に入ると薄暗く狭苦しい2面のホームがあった.
廃線直前だがけっこう乗客で賑わっている
2階建てのビル「山梨交通電車のりば」の中に入ると薄暗く狭苦しい2面のホームがあった.
廃線直前だがけっこう乗客で賑わっている
1形モハ3号
昭和4年雨宮製の妻面の感じが京王電気軌道151形に似ている.
ここに写った1形2両は雨宮製のステップが下がったタイプで、山梨交通の電車といえばこの1形がイメージされる。一方7形は1形とはイメージ異なる高床式で上田丸子へ転籍しその後江ノ電で改造されたことでよく知られている.
警察署前までさびれた通りの併用軌道区間を走る.
以下は山梨交通廃線後の7形2両のその後
信越線と並走する丸子線に入線直後の赤い7形の姿があった.1963.7.20
元山梨交通7形のモハ2342+2341. 下之郷
山梨交通時代の7形とはすっかりイメージが変わったモハ2341. 下之郷
参考図書: RMライブラリー5「山梨交通鉄道線回想録」花上嘉成著 ネコ・パブリッシング発行
以下は山梨交通廃線後の7形2両のその後
信越線と並走する丸子線に入線直後の赤い7形の姿があった.1963.7.20
元山梨交通7形が休む上田丸子電鉄別所線の下之郷駅 1970.8.17
山梨交通廃線から8年、詩情あふれる下之郷駅と元山梨交通の電車
留置されていた電車の写真をよく見ると山梨交通からやってきた高床式電車2両であった。
昭和38年に入線し改造後丸子線で使われ、この留置の翌年に江ノ電に譲渡され連節車となった。
参考図書: RMライブラリー5「山梨交通鉄道線回想録」花上嘉成著 ネコ・パブリッシング発行
8 件のコメント:
なかなかお目にかかれない貴重な写真、ありがとうございます。
山交甲府駅は独特の雰囲気ですね。
RMライブラリー5は私も買いました。
当時の様子を知りたかったのですが、駅前に電停がある位かと思っていたので、予想外の立派な?ターミナルにびっくりでした。
その後自転車で廃軌道を辿ったのも、もう10年以上前の事になってしまいました。
山梨交通の電車が通っていた「南アルプス市」には、7年前の夏に訪れたことがあり、電車線に並行していた国道52号を歩いていたのですが、途中でその西側を見ると、舗装されているものの線路の跡らしき道路が見え、寄ってみると確かにそんな感じがしたように思えました。甲府からの線路が西向きから南向きへとカーブしていた白根町の辺りにあった小さな美術館を見て、甲府方面に戻るバスの時間が来るまで、暑さしのぎをかねてバス停近くのファミレスで休憩したのでした。
上田交通の別所線には、これまで3度乗ったことがあり、最初のときはまだ雑多な旧式電車の天国だった頃でした。写真に出ている下之郷駅、島式ホームの下り線(別所温泉方面)の線路をふさいでブリッジをかけたようなホームへの通路があったというのは、この写真を見てはじめて知りましたが、いったいどんな理由でこのようにしたのでしょうか?私が最初に乗ったときにはそんなものはありませんでしたが、下之郷の駅は下り線のレールが撤去されて1本線になっていました。2度目に乗った昭和60年には、下り線のレールが復活して再び島式ホームの交換駅となり、構内踏切も復活していましたが、使われなくなって久しい貨物ホームや西丸子線の残骸もまだだいぶ残っていました。
山交の併用軌道の素敵な写真ありがとうございます。
カーブした木造建築って珍しいですね、同じ雨宮製の京王151の匂いがする電車も良いです。アメリカのルーラルインタアーバンのようです。
H.Kumaさん
先週、甲府駅に降りたのですが昔駅前に山梨交通があったことをすっかり忘れていました。
あの山交ターミナルの今は巨大な山交百貨店になっているのですね。
現在の地図を見ると道路のカーブなどに昔の軌道の面影が残っているようで、
自転車での廃線跡めぐりはさぞ楽しかったことでしょう。
伊豆之国さん
1970年の下之郷駅はとっくの昔に廃線した西丸子線のホームも残っていて楽しい駅でした。島式ホームは片面だけの使用であったので、改札口からそのまま乗り場ホームへ近道する橋を渡したのでしょう。こうすればホーム階段の上り下りが不要に。
今では島式ホームの上下線が使われ、引き込み線のところに車庫ができる等一変しましたね。
私は山梨交通も西丸子線も見ることはできませんでしたが、これらが走っていた頃の風景に憧れてしまいます。
Cedarさん
駅を出てカーブするところにある木造建物がカーブしていたとは気づきませんでした。
珍しい建物ですね。
雨宮製は電車も魅力的ですね。
蒸気機関車から電車まで雨宮は何でこのような魅力的なデザインができたのでしょうか。
併用軌道から専用軌道を飛ばして走るこういう路線は正にCedarさん好みですね。
電化線もトロリーラインなら非電化路線より魅力的なのはよく理解できます。
山交の貴重な写真見れて嬉しいです。
モハ7形は江ノ電800形となり引退間近チョコ電になってから乗りに行った事を覚えています。
江ノ電の旧形電車陣の中でも一番古臭く、音も煩く大好きでした。
山交と言えば甲斐青柳駅の鰍沢への未成線跡がどうなっていたのかが気になります。
RMライブラリには架線が張ってあったのを見ましたがあの反対側が気になります。
モハ1形、雨宮製なので戦前の京王電車に近いモノを感じさせますね♪
宵闇さん
RMで紹介された山梨交通の魅力は写真の素晴らしさと、その時代にあったと思います。
終点甲斐青柳駅の風景にも惹かれますね。
廃線した昭和37年はまだクルマも少なかった時代、その後急速に各地の風景が変化していきました。
のどかな時代の甲府郊外の風景に雨宮製の電車モハ1形がよく似合いますね。
この頃、京王線に雨宮製中型車がまだ走っていました。
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