特記なき撮影日は1963.07.14 写真は全て青蛙さん撮影
清滝の駅は古河電工工場に隣接していて、ここから工場へ引込線が何本か分岐していた.
電車庫前駅の脇にあった広々とした清滝電車区.
1959年(昭和34年)8月に日光車両区(車庫)がここへ移転されて、
東武日光駅前の旧車庫は電車留置線として使われていた.
予備機として残された山岳電機ED602(元国鉄アプト線用電機). 清滝電車区
新鋭電機ED611が入線するまで、列車の最後部に連結されて古河電工工場まで貨車を押し上げていた.運転台が馬返側のみのため、帰りは機械室側を先頭にして街中を下っている写真は驚きの光景であった.
ボギー客車を牽いて活躍した旧型車の主力テ10形(12)
昭和28~29年の新型車登場によりそれまでの旧型はテ12を残して全てが消えた.
電車庫前を発車し電車区ヤードの横を東武日光へ向かう山岳電機ED611(昭和30年東洋工機製)
左の線路が貨物線で国鉄日光駅構内へと繋がっている。電車が居る線路がループ線で国鉄日光駅前から電車はこの「電車のりば」に出てくる。右の建屋が東武日光営業所で、建屋の向こうが留置線(元車庫)となるのでしょう。1968年2月23、24日の2日間花電車が運転されて東武日光軌道線は消えた。
廃線の式典
5 件のコメント:
昔のお写真、楽しく拝見しております。
2枚目の写真、広そうな川のそばの「引込線」が気になって私なりに場所を調べた結果、
どうやら下河原駅方面から、旧公会堂駅に至る旧線ではないかと考えています。
google earth で、現場交差点の道路上からの画像を確認すると、昔の写真の面影が残っています。
(御参考)
http://www.hotetu.net/haisen/Kanto/081109nitukoukidousen.html
匿名さん
ありがとうございます。
下河原から公会堂駅に至る旧線がどうだったのか私にはよく分かりません。
公会堂あたりの軌道はメイン道路であり、
2枚目写真の雰囲気とはかなり違うように思えますが
どうなんでしょうか?
ご回答ありがとうございます。
他の画像を探してみると、下記のURLのページを見つけました。
http://6.fan-site.net/~haasan55/TobuNikkoYonesan.htm
このうち、「日光軌道線の最後の日」の4枚目、大矢川に沿って走る110号(下河原から公会堂方面を臨む)
の背景にある、三角屋根の白い大きな建物と、左奥の針葉樹の林が、上の2枚目の写真と似ています。
また、廃止間際の方が道路が拡幅され、道路の端にあった線路が道路の中央寄りになった、と考えています。
匿名さん、ありがとうございました。
工場引き込み線廃線跡らしき? が意外な展開で大変興味深い謎解きですね。
こちらにも下河原駅の写真がいろいろありましたので比較してみました。
2枚目の写真と下河原の写真(廃線直前)で時間差が5年ほどありました。
両者の風景の雰囲気が全く異なる理由に5年の歳月を考慮せねばならない事に気づきました。
三角の大きな屋根や川の流れや山などが似ているのですが、手前の建物で決定的なものがありません。
それが5年の歳月で変化したものか? 大変微妙です。
面白い謎解きテーマで近々にこのブログで取り上げてみようと思います。
ずっと匿名のままで失礼しておりましたので、今回は名前を付けます。
当方が先に示したネタ元でも、何か足りないなあと思い調べていましたら、下のページを見つけました。
(既に見つけられたかもしれませんが)
http://nikkonishimachi.web.fc2.com/yasukawa/h.html
開設当時の線路概念図を見て、あれれやはり線路は川から斜めにそれる道を進んでいたのか、と更に謎が深まりましたが、下の地図閲覧サービスで、該当箇所の戦後の米軍の航空写真を、高解像度画像で拡大してみると、下河原付近からしばらく川沿いに走り、街中で直角に曲がる旧線の跡らしきものが見えました。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do
御参考頂ければ幸いです。
コメントを投稿