案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年5月20日月曜日

小田急電鉄 成城の坂(続)

前回の「成城の坂」の風景を更に追加し、その数日後に撮った小田急の日常風景です。

左の木立の中に不動堂が建つ. 成城-喜多見 1964.02.25

前年1963年3月にデビューした特急NSEが行く.

喜多見から成城の坂を登る. 成城-喜多見

昭和30年代に独特の景観があった国分寺崖線. 成城-喜多見 1964年2月
手前のブッシュが生い茂る平地に今は小田急喜多見検車区の施設が建つ.

2400形、特急格下げ1700形、1900形が顔を揃えた経堂駅  1964年2月
ホームの向こうに東洋映画劇場が見える映画館のまち経堂であった.

1900形、2400形、1800形が並ぶ経堂駅

経堂駅4番待避線の新宿行各停1400形.

3 件のコメント:

Tosi さんのコメント...

映画館は1970年代にはすでに姿を消していたと思いますが、経堂駅南側の道路に面した街並みや駅構内の雰囲気はかなり長いあいだこれらのお写真の当時とあまり変わらない感じだったような気がします。経堂駅の三枚のお写真では、急行線側にいずれも列車が停車していますが、この時代には経堂駅に停車する準急の本数が多かったのでしょうか。影の位置から判断すると、あまり時間が経過していないように思われます。

Tosi さんのコメント...

すみません。「急行線」という言葉をうっかり使ってしまいました。厳密な定義がよくわからない用語ですが、複々線化以前の時代ですから誤りだったと思います。

katsu さんのコメント...

Tosiさん
子供の頃によく行った経堂駅前の映画館は南風座と記憶していたのですが、写真に写っていたのは東洋映画劇場でした。南風座はお寺の隣にあったとかで別な場所だったのかも知れません。
当時の準急はそれほど多くはなかったような気がします。