案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年2月25日月曜日

頸城鉄道 夏の飯室駅

2010年11月にアップした「晩秋の頸城鉄道 飯室」 は部分廃線後の終点飯室駅でしたが、今回は全線が繋がっていた時代の飯室駅です。

飯室駅に到着したホジ3+ニフ1 1968.08.18

写真の飯室駅はまだ部分廃線前であり、浦川原側へと線路が一直線に延びていた。と云ってもこの1ヵ月半後には部分廃線で線路はこの先で行止まりとなってしまう。
飯室駅前の道路は舗装され浦川原、飯室から直江津へバスで行けるので、豪雪シーズンを除けば浦川原、飯室から新黒井までわざわざ軽便で輸送する必要性は少なくなっていたのでしょう。
部分廃線後の寂れた飯室駅のムードはまだ感じられなかった。

 

ホジ3に牽かれていたニフ1は6年前に較べ塗装が剥げ格段にくたびれていた.新黒井 1968.08.18
よくお供をしていたニフ1の内部には一体何があったのか興味深々.
ちょっとした小荷物程度を運んでいたのでは?

2 件のコメント:

Namiki さんのコメント...

現役時代のニフのお写真、素晴らしいですね。

廃止後のことですが、このニフを買いに行く話が酒の上の冗談から飛び出し、勢いでトラックを仕立てて本気で受け取りに行くことになってしまいました。ところが現地に着くと、ホジも含めて車両がごっそり無いのです。ほんの半月前の現地情報では、まだ放置中だったというのにです。

なぜあんな貴重な車両を解体してしまったのかと憤っていたところ、運送業者が一気に持って行ったという地元の話を聞かされました。それが例の六甲の話だったのですね。

ところで(あの糸魚川のグループではなく)なぜニフを欲しがったのか、今でも理由が思い出せません。おそらく小さい車両だから庭の隅にでも置いておこう的な安易な発想だったと思いますが、廃車相次ぐSLの保存ブームもあり、それに感化されていたのかもしれません。

katsu さんのコメント...

Namikiさん
貴重な情報ありがとうございました。
あのニフ1を買いに行ったとは!驚きました。
ニフ1とハ6が六甲へ引き取られ、残った2軸客車はハ5ということだったんですね。
六甲から帰ったニフ1が何とか復元されると嬉しいのですが。
私はオープンデッキで整ったハ5、6よりも可愛いニフ1の方が好きです。
廃線後、森ブタDBが潰されたそうで大変に悲しいことですね。
貴重な機関車を失いほんとうに残念です。