今の時代と違い、当時の木曽は遠く果てしない山奥に感じました。コンビニなど当時は無く、とにかく空腹を我慢してやっと上松まで行っても、休日には1軒も開いた店がなく途方にくれたものでした。腹ペコで過ごした林鉄ヤードの木の匂いや、東京には無いどこまでも蒼い空と白い雲を、お写真を見てますと、何だか昨日のことの様に思い出します。
Namikiさん、全く同感です。地方へ撮影に行くとよく空腹との闘いが強烈な思い出ですね。その路線に入ると更に何~にもない。自動販売機なんてある筈もなく、よく民家や駅で水を飲ませてもらったものです。当時は私も木曽がとても遠く感じたものです。上松で素晴らしい景色と青空でしたので、奥地へ入ったら、とんでもない美しさだったと思います。
大鹿ヶ淵の水の色と大鹿の広いヤードは強く印象に残っています。今でも田島以遠では食料の入手は難しそうです。滝越には観光客用の食堂がありますが遠い。
常夜燈さん、木曽森林はかなり奥まで入りいろいろ撮られていますね。そして廃線後の探索も凄い!産業用機関車の解説など参考にさせてもらいました。これだけ丁寧に撮られていると「今さら私が・・」どころではないですね。木曽森の食糧調達は昔も今も大変なようで、それに比べると地方私鉄はまだマシだったかもしれません。
写真のNo.76 酒井製は、習志野市の藤崎森林公園に客車等と共に保存されています。(ボロくなっておりますが。)グーグルのストリートビューでも見ることができます。
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5 件のコメント:
今の時代と違い、当時の木曽は遠く果てしない山奥に感じました。コンビニなど当時は無く、とにかく空腹を我慢してやっと上松まで行っても、休日には1軒も開いた店がなく途方にくれたものでした。
腹ペコで過ごした林鉄ヤードの木の匂いや、東京には無いどこまでも蒼い空と白い雲を、お写真を見てますと、何だか昨日のことの様に思い出します。
Namikiさん、
全く同感です。
地方へ撮影に行くとよく空腹との闘いが強烈な思い出ですね。
その路線に入ると更に何~にもない。
自動販売機なんてある筈もなく、よく民家や駅で水を飲ませてもらったものです。
当時は私も木曽がとても遠く感じたものです。
上松で素晴らしい景色と青空でしたので、
奥地へ入ったら、とんでもない美しさだったと思います。
大鹿ヶ淵の水の色と大鹿の広いヤードは
強く印象に残っています。
今でも田島以遠では食料の入手は
難しそうです。滝越には観光客用の
食堂がありますが遠い。
常夜燈さん、木曽森林はかなり奥まで入りいろいろ撮られていますね。
そして廃線後の探索も凄い!
産業用機関車の解説など参考にさせてもらいました。
これだけ丁寧に撮られていると「今さら私が・・」どころではないですね。
木曽森の食糧調達は昔も今も大変なようで、それに比べると地方私鉄はまだマシだったかもしれません。
写真のNo.76 酒井製は、習志野市の藤崎森林公園に客車等と共に保存されています。
(ボロくなっておりますが。)
グーグルのストリートビューでも見ることができます。
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