案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年1月7日月曜日

木曽森林鉄道4 上松


No.128 DBT10 酒井製10トン機、B型客車13    上松 1974.05.02
中央本線上松に隣接した一角にヤードや車庫(奥の建物)があった.

No.107 DB8 酒井製8トン機


No.76 酒井製


車庫内にはNo.84 DB7 酒井製7トン機と、その周辺に酒井製8トン 10トン 奥に5トン機が並ぶ.
機関車は5トン~10トン機で大きさがバラバラなのが楽しい。

4 件のコメント:

Namiki さんのコメント...

今の時代と違い、当時の木曽は遠く果てしない山奥に感じました。コンビニなど当時は無く、とにかく空腹を我慢してやっと上松まで行っても、休日には1軒も開いた店がなく途方にくれたものでした。

腹ペコで過ごした林鉄ヤードの木の匂いや、東京には無いどこまでも蒼い空と白い雲を、お写真を見てますと、何だか昨日のことの様に思い出します。

katsu さんのコメント...

Namikiさん、
全く同感です。
地方へ撮影に行くとよく空腹との闘いが強烈な思い出ですね。
その路線に入ると更に何~にもない。
自動販売機なんてある筈もなく、よく民家や駅で水を飲ませてもらったものです。
当時は私も木曽がとても遠く感じたものです。
上松で素晴らしい景色と青空でしたので、
奥地へ入ったら、とんでもない美しさだったと思います。

常夜燈 さんのコメント...

大鹿ヶ淵の水の色と大鹿の広いヤードは
強く印象に残っています。
今でも田島以遠では食料の入手は
難しそうです。滝越には観光客用の
食堂がありますが遠い。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん、木曽森林はかなり奥まで入りいろいろ撮られていますね。
そして廃線後の探索も凄い!
産業用機関車の解説など参考にさせてもらいました。
これだけ丁寧に撮られていると「今さら私が・・」どころではないですね。
木曽森の食糧調達は昔も今も大変なようで、それに比べると地方私鉄はまだマシだったかもしれません。