案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年2月7日火曜日

玉電 軒先かすめて

用賀を出て玉電瀬田までの区間は大山街道の併用軌道に戻り、街道の片隅を軒先かすめて走る光景が見られた。地方でよく見掛けたこんな風景は並走する国道246とは別世界であり、昔の世田谷のよさを廃線になるまで残していた。
何も遠い地方へ出掛けなくても足元東京でこんな素晴らしい区間があるなんてその時は気付かなかった。いつでも撮れる玉電、身近過ぎた玉電、撮ったのはいつも何かのついでだった。


店先に接近した軌道. 用賀-玉電瀬田 1969.4.22  画像クリックで拡大 



地方の街道を思わせる長閑な世田谷風景.  用賀-玉電瀬田

八百屋とパン屋の店先を走る.



歩道橋から撮った玉電瀬田の電停.右が国道246  1969.4.22

瀬田で交差する国道246の整備は既に開通していたようで交通量が一気に増大か.
国道246とは対称的に玉電が走る通りは車も少なく昔のままの電停風景のようだ。
この瀬田の交差点は、その後、環八通りが交差し全く姿を変えてしまった。

4 件のコメント:

cedar さんのコメント...

この道は週一度くらい歩きます。
最近まで当時の町並みが残ってましたが、最近急速にマンション街になりました。
線路跡のすぐ横の、旧いお宅の庭に、Oゲージらしい庭園鉄道が草に覆われ残っていたのですが、一年ほど前に、ワンルームマンションになってしまいました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
この道の下を走る地下鉄から地上に出て今を見てみると、どこがどうなったのか私には全く分かりません。
桜新町から瀬田まで今の街道を一度歩いてみたいものです。少しでも面影が見つかれば楽しいのですが。
ブログはこれから二子玉川園へ向かいますが、またこの辺の画像を追加するつもりです。

Cedar さんのコメント...

再び失礼します。桜新町~用賀間と二子玉川付近の今昔画像をちょっと前にブログにUPしました。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2012-01-21
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2012-01-24

参考までに・・・

katsu さんのコメント...

Cedarさん、もちろん先日の玉電のアップは拝見しております。地元ならではの今昔比較ですね。