案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年11月5日土曜日

通りすがりの一畑電気鉄道 昭和48年

昨年5月に封切られた RAILWAYS 一畑電車。この映画を見てJRローカル線とは違って出雲のローカル色豊かな地方私鉄を楽しむことができた。

赤いデハ6が行く   出雲大社前近く  1973.11.7



松江に向かう電車の車窓に見えた宍道湖

昭和48年の11月、通りすがりに撮った秋の一畑電気鉄道。
昨年話題となったRAILWAYSのデハニ50の赤い色をした旧型電車が走っていた。出雲大社前の駅にやってきたのは赤いデハ6で、これに乗って夕暮れの宍道湖沿いを走り、到着した松江温泉駅にはクリーム色に青帯のクハ171が停まっていた。赤いデハ6とデハ1の2両は美しい状態で出雲市内の保育園に保存されているそうである。
 
出雲大社前駅のデハ6   1973.11.7 
 
出雲大社前駅


   クハ171  松江温泉(現松江しんじ湖温泉)駅 1973.11.7 
駅名の変遷: 北松江→松江温泉→松江しんじ湖温泉



山陰本線にはまだD51の鈍行列車が走っていたが客車内は閑散としていた.
優先列車通過待ちで30分も停車する鈍行列車だった. 戸田小浜 1973.11.6

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

一畑電鉄は、お写真と同じ頃、大学の鉄研の山陰合宿で訪れました。SLメインでしたが私を含む電車派が強引に日程に入れました~当時は廃止が浮上して電車の車体には廃止反対のステッカーが貼らていましたが、今もなんとか健在なのはうれしい限りです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
大学の鉄研で山陰合宿は、山陰本線にまだ蒸機列車が走っていたのでそれを撮りに行かれたのでしょう。消え行くSLを求めてまだSLブームが盛んだった頃と思います。
さすが電車好きのCedarさん、よく一畑に立ち寄られた事と思います。一畑のこの時代をしっかり撮っておけば今になって楽しめたのに私はろくに撮らなかったです。