案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年9月9日金曜日

花巻電鉄 西公園停車場

花巻電鉄の夏の西公園停車場を昨年アップしましたが、この西公園停車場には不思議な魅力があり別な表情を並べてみました。上は昭和39年、下は昭和41年です。


夏の西公園停車場 1964.8.2
昔撮った花巻電鉄のネガを取り出して数年前に初めてプリントしたのがこの光景で、40年の歳月のせいでこの時代の光景がとても新鮮に思えたものだった。この夏の西公園停車場の写真は私の1960年代回想のスタートとなった。
昔、花巻電鉄と岩手軽便鉄道(昭和11年国有化)は同じ中央花巻駅から発車していて、宮沢賢治の時代を勝手に想像してしまう昭和30年代後半の花巻の軽便光景であった。

初春の西花巻停車場 1966.3.4
2年後の写真では交換設備は撤去されていて、初春のどんよりとした天候とぬかるみの光景を写真でみた時はあの西公園停車場であるのに気がつかなかった。交換線がなく単線になったのと季節の違いのせいか駅の表情がすっかり変わっていた。この後、廃線を迎え1970年代以降 町の風景は急激に変化して行ったのでしょう。
現在の街並風景がrebiさんのここで見れます。

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

何度見てもここの光景は痺れますね。私が父と行った昭和43年にはすでに交換設備は無くなっていましたが、未舗装の狭い道を軽便電車が行く光景は変わっていませんでした。
宮沢賢治の童話に<なめとこ山の熊>というのがありますが、その中に鉛温泉がチラッと出てきます。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
この軒先を行く区間が軌道線のハイライトだったと思います。宮沢賢治もこの軌道線に乗ったのでしょうね。
ところで、元岩手軽便鉄道の無蓋貨車が花巻駅構内に留置されていました。