案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年9月30日火曜日

先日の軽便祭りから

軽便祭で、素晴らしい西大寺単端のOナロー1/48の作品を拝見しました。
西大寺のキハ1、2を製作する方は大変少ないと思います。

「軽便讃歌13」表紙の巨大な単端キハ8と顔がよく似ていますが、
キハ1、2はお馴染みの箱型単端キハ3、4、5と同一サイズです。
 


表紙キハ8+キハ4+ハボ4両



キハ2


キハ1


2025年9月27日土曜日

軽便讃歌13の発売開始

昨年講演した講演録が明日9/28の軽便祭で発売開始されます。
講演と講演録では、皆様に多大なご協力を戴き誠にありがとうございました。

【南軽出版のアナウンスより】
南軽出版局の定番・『軽便讃歌』本は予定通り9/28軽便祭で発売開始、追って各特約店様(書泉、旭屋なんばCity、イモン、エコー等)にも配本いたします。書題は『軽便讃歌13』、内容は昨年の風間克美さんと名取紀之さんの講演録となります。
今回は価格が例年よりUPの税別1,300円となりますが、ひとえに怒濤の増頁(72p)によるものでして、そのぶん内容も濃密です!




2025年9月25日木曜日

筑波鉄道 筑波北方

美しいツートンカラーに塗られた気動車。筑波の峰々を背に走り抜ける風景は、あまりにも日常風景に溶け込みすぎて、かつて私はその魅力に気づくことがなかった。

駅舎の佇まい、ローカル色豊かな設備、そして茨城の素朴な風土と自然。
筑波鉄道は、暮らしのすぐそばにあった。
けれど、その魅力は何十年という歳月が流れて、初めて感じられるようになった。

鉄路はすでに消え、残されたのは駅のホームや木立の痕跡、自転車道に姿を変えた廃線跡など。筑波北方に広がる沿線の風情は、今も変わってないのだろう。



紫尾(しいお) - 酒寄  1987.3.28
真壁から筑波方面へ向かい常陸桃山を過ぎると、筑波山が背後に迫ってきて紫尾(しいお)に到着する。その先にあった木立や竹藪の脇をカーブする辺りが、最も好きな撮影ポイントであった。

2025年9月23日火曜日

雨上がりの金石街道(続)

 


入替作業が済むと貨物列車は中橋へ向けて走り出した.

金石線の画像をデジタル化したのは2011年頃でした。あれから10年後に再スキャンしたのがこの画像、ネガは劣化し斑点だらけで時間掛けてゴミとりしたものです。
1964年のモノクロネガは撮影後50年辺りまでは、まだ何も劣化してなく綺麗なネガだったことになります。


2025年9月11日木曜日

雨上がりの金石街道

1964年はマイカー時代幕開け直前で、地方の道路にまだクルマは少なかった。
北陸鉄道金石線 1964.12.31


金沢郊外の金石街道にクルマは殆ど走っていない.
12月の小雨に濡れた金石街道を、電車が貨車を連ねて進んでいく。濡れた路面に車輪の音が響き、パンタグラフが冬空をかすめる。その姿は、港と街を結ぶ暮らしの息づかいそのものだった。
やがてトラック輸送の時代が訪れ、この光景は消えていった。だが、雨にきらめく金石街道を行く貨物列車の記憶は今も鮮やかに残っている。

2025年9月8日月曜日

日本の社会の変わり目

クルマ社会の到来を掲載したのは10年以上前の2013年8月12日でした。
その時の「日本の社会の変わり目」の再編集版です。

この1964(昭和39)年の頃、大都市では既に車社会の到来が始まっていました。なんとか行き残ってきた地方私鉄もこの頃から急速に衰退して行く。この激変は一体何があったのか、私の中で漠然としていた高度成長時代の社会の変わり目と、地方私鉄の衰退を時系列に対比してみました。(軽便鉄道は地方私鉄衰退の事例として並べたものです)

これを見ると、私が地方私鉄を最も撮った時期1964(昭和39)年頃の日本は高度成長による社会の変わり目で、この年の東京オリンピック開催以降は高度成長のなかでも劇的な社会の変化で、車登録台数の急増や道路舗装率のデータからも爆発的な「車社会の到来」の時代であったと言えるでしょう。

地方へ撮影に出掛けた1962~1964年頃は大都市を除けば地方の道路はまだトラックやマイカーも少なく、地方私鉄には活気ある路線も見ることができました。それが1965(昭和40)年~に入ると沿線の道路整備も始まり車の姿が多くなってきて、それまでの地方私鉄の活気もあっという間に衰退→廃線へと向かったのでした。
1960年代の地方私鉄が様変わりして行く風景は、日本の社会の大きな変わり目に地方私鉄が翻弄されて行った時代であった。




1963年の新宿西口 青梅街道.


1967年第14回東京モーターショウ.
前年に続き展示された初代サニー1000
1966年にスタートしたマイカー時代は1967年秋の東京モーターショウで更に身近なものに.手の届かぬ存在のマイカーだったが、身近な人がすでにサニー1000を購入していた.

銀座4丁目の光景. 三越が改装中 1967.11.26
1966(昭和41)年に大衆車サニー、カローラが発売され、晴海で開催された東京モーターショーは大変な熱気であった。この銀座四丁目の晴海通りはそんなマイカーが身近な存在となってきた車社会到来の時代が思い起こされる。街行く人々に夢と希望が溢れ、昭和40年代の日本は経済大国への道をまっしぐらに進んでいた。


参考図書: 「高度成長-昭和が燃えたもう一つの戦争」 保阪正康 著 朝日新聞出版

2025年9月4日木曜日

朝の広島駅前

 朝の路面電車は絶好の撮影チャンス.
駅で整列する習慣はまだ無かった昭和42年の日本.


朝の広島駅前は通勤・通学客で活気に溢れ、
魅力ある単車が続々と登場してきた。
1967.03.07


如何にも広島の個性溢れる150型.江波行
最も大きい単車.



午後になると太陽光線のせいか
朝の駅前風景と雰囲気が異なる.
今この駅前は大きく変わった.


2025年9月1日月曜日

西大寺鉄道の単端

西大寺 会陽(はだか祭)の日に車両総動員された4編成。 滅多に動かないバケモノ単端キハ10(最下段の先頭)も動員された。1962(昭37)年廃線

昨年秋の講演が本「軽便讃歌13」になって9月末の軽便祭で発売されます。