一面の田園地帯を行く電車はM15形だけ、貨物を除くと単調な鉄道だったのに何故かあの日の記憶が鮮明に残る。1966.03.01
冬枯れの田んぼ越しに農家が並ぶ。淡く芽吹いた木々と咲き誇る花。空腹を忘れさせる、早春の陽光がまぶしかった。その日は、津久毛から細倉方面に歩き出した。暖かい早春の陽が田畑を照らし、仙北鉄道沿線にも似た風景が広がっていた。田んぼの向こうに並ぶ農家のわら葺屋根。冬枯れの黄色い草むらの間から早くも新芽がのぞき、名も知らぬ木の花が満開だった。
よく考えてみれば、朝から何も食べていなかった。次の杉橋駅なら駄菓子屋くらいはあるかもしれない──そんな淡い期待を抱きながら歩いた。
到着した杉橋駅の周辺には、ぽつりぽつりと人家があった。駅は無人駅だった。駅のそばに松の木と石碑があり、ほんの少しだけ旅情を感じさせる風景が広がっていた。
駅前に商店街はなかったが、ふと見つけた淡路島で見たような素朴な駄菓子屋。今ならコンビニに当たる存在だろう。ここでようやく昼食にありつけた。菓子パン2個、合わせて35円。川辺に腰を下ろし、それをかじる。ようやく落ち着いたそのとき、M15形のMT編成がやってきた。
帰りの石越行電車を待っていると、日は傾き暗くなった駅周辺の家々の煙突から夕飯の煙が立ち上っていた。ひと気のない駅のベンチに腰を下ろし、ぼんやりと夕空を眺めていると、一人の地元の老人が、こちらを見てコンチニハと挨拶されたのには驚いた。東京と違って東北ではこんな挨拶は当たり前のようだ。
栗原電鉄の旅は、決して魅力溢れる沿線風景や名所旧跡に出会える旅ではなかった。ただ、空腹のまま歩いた田園と、同じ型の電車の往復。そんな単調さのなかに、なぜか今でも忘れがたいものがある。
4 件のコメント:
栗原電鉄M15はいつだったか鉄道雑誌のグラビアで見た憧れの電車でした。白黒写真では塗色も想像するしかありませんでしたが、東北の地方私鉄にしては(失礼)車体も台車も近代的で、さぞ乗り心地も素晴らしいンだろうなと妄想したものです。何年か経って鉄道の知識が増えてきた頃に、日車標準車体なのにナニワ工機製であること、旧型台車を履いた片運の制御車があることなどを知ってぜひ訪ねてみたいと思うようになりました。結局その願いは叶わぬまま廃線になり、今から8年前になってやっと自家用車で「くりでんミュージアム」で初対面を果たしました。
今日Google street viewで細倉マインパークから栗原電鉄沿いの道路をバーチャルドライブしてみました。結構線路(レール)がそのまま残されているようで、現代の沿線はKatsuさんが書いておられるように全く単調な景色でもなさそうです。杉橋駅の写真の松の木はもう見られないようですが、今も古い石碑は残っており、脇に「杉橋駅跡」と刻まれた石柱が並んでいます。それから駄菓子屋の跡かどうかわかりませんが、大きな駐車場のコンビニが建っていておにぎりでも弁当でも買えるのに、とKatsuさんの苦行を忍びました。
東北の私鉄は福島・花巻以外は殆ど間に合ってないのですが、中でも栗原はお書きになっている「単調さ」がごちゃごちゃギリギリ好きの私には「守備範囲じゃない」と石越から田んぼの中に伸びる線路を見たときに感じてしまいました。
鹿部電鉄さん
情報ありがとうございます。
Google street viewで現在の廃線跡を辿るバーチャルドライブとは素晴らしいですね。私も時々やりますが撮影場所を調べる時くらいでした。栗原は全くstreet viewで見たことありません。
street viewで空から栗原の軌道跡らしき路を探してみたら何と線路がしっかり残っているんですね、沢橋駅の石碑や鉄橋まで。
廃線跡めぐりファンの間ではよく知られたところかも知れませんが私は全く知りませんでした。これほど大規模に軌道が残されているなら廃線跡写真を撮ってみたいものです。そしてバーチャルドライブをやっていると一日があっという間で素晴らしいです。
Cedarさん
当時、私も同じで仙北や栗原を訪問した時は田園風景ばかりの沿線風景にガッカリしたものです。その落胆ぶりが日記にしっかり記録されています。でも、50年60年も過ぎると何か感覚が変わってきました。あの時には気付かなかった様々な切り口が浮かんできます。今の時代の価値観の変化のせいなんでしょうか。
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