案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年7月14日月曜日

鉄道が消えた跡の深さ

先日、facebookに投稿した記事より

ー仙北鉄道 築館線の残照ー

鉄道が動いていた時代のこと以上に、鉄道が消えた後の線路の風景には深さがある。

そんなことに気づいたのは、撮影したずっと後のことだった。昔、鉄道写真といえば「列車ありき」で、車両がいない写真には興味がなく、ましてや廃線跡となると、“もう終わった鉄道”という認識しかなく撮りに行くこともなかった。

この写真はその頃に撮った一枚。仙北鉄道 築館線の廃線跡。当時私は何の感慨もなくシャッターを押したのは「記録として残すだけ」の感覚だった。ところが後になって見ると、妙に心に残る。

この線路の向こうにあった、かつての暮らしの気配。駅に集った人々の声。行き交う小さな2軸ガソリンカーのエンジン音。 それらが消えて久しいのに、ここには「何か」が残っている。

鉄道が消えた後の線路の風景は、私たちに鉄道が活躍していた時代の光景を想像させてくれる。と同時に高架線ではなく地上に設置された線路の跡は土に還って行く将来を示唆している。


瀬峰から延びる1950年に消えた築館線のナロー廃線跡。
撮影:1964年8月

築館線の現役時代はこの小さな2軸ガソリンカーが走っていた。廃車になって瀬峰の車庫の奥にいた昭和9年日車製ハフ407 (元キハ3)

2025年7月10日木曜日

小坂鉄道 軽便の面影は消えていた大館駅

 

花岡行と小坂行の発車案内が表示された大館駅. 1966.03.0



栃尾線に転じたホハ30 (元小坂鉄道のハ10)。 同時に栃尾へやって来た他の5両とは外観が異なる。 栃尾鉄道 悠久山 1964.3.22

昭和41年早春、奥羽本線の大館駅に降り立った。雪の残るホームには、ありふれたキハと機関車が発着を繰り返していた。かつて鉱山を結んで走った小坂鉄道も、今やナローゲージの面影を失い、1067mmへと改軌されていた。改軌は昭和37年10月のこと。乗車券には「同和鉱業小坂鉄道線」と記されていた。

大館からは小坂線と支線の花岡線が分岐していたが、構内の風景はどこか味気なかった。軽便鉄道らしい車両や線路の表情は、もうそこにはなかった。

書物によると小坂のナロー時代は、軽便とは思えぬほど重厚で威風堂々としていた。その時代の客車をこの数年前に越後交通栃尾線で見たことがある。今、改めてその写真を見ると、冬景色の大館駅が思い出された。

ナローが改軌されても、車両が変わっても、あの大館駅の小坂鉄道には時代を越える風格があった気がする。

2025年7月9日水曜日

栗原電鉄 田園と空腹とM15形

2016年8月29日投稿記事「栗原電鉄 空腹と田園とM15形」のリニューアルです。

一面の田園地帯を行く電車はM15形だけ、貨物を除くと単調な鉄道だったのに何故かあの日の記憶が鮮明に残る。1966.03.01

冬枯れの田んぼ越しに農家が並ぶ。淡く芽吹いた木々と咲き誇る花。空腹を忘れさせる、早春の陽光がまぶしかった。

栗原電鉄の旅を振り返ると、真っ先に思い出すのは「空腹」と「単調さ」だった。沿線には店もなければ賑わいもない。淡々と広がる田園風景を、M15形だけがやって来る。そんな飾り気のない旅の中に、なぜか今でも記憶に残るものがある。

その日は、津久毛から細倉方面に歩き出した。暖かい早春の陽が田畑を照らし、仙北鉄道沿線にも似た風景が広がっていた。田んぼの向こうに並ぶ農家のわら葺屋根。冬枯れの黄色い草むらの間から早くも新芽がのぞき、名も知らぬ木の花が満開だった。

よく考えてみれば、朝から何も食べていなかった。次の杉橋駅なら駄菓子屋くらいはあるかもしれない──そんな淡い期待を抱きながら歩いた。

到着した杉橋駅の周辺には、ぽつりぽつりと人家があった。駅は無人駅だった。駅のそばに松の木と石碑があり、ほんの少しだけ旅情を感じさせる風景が広がっていた。

駅前に商店街はなかったが、ふと見つけた淡路島で見たような素朴な駄菓子屋。今ならコンビニに当たる存在だろう。ここでようやく昼食にありつけた。菓子パン2個、合わせて35円。川辺に腰を下ろし、それをかじる。ようやく落ち着いたそのとき、M15形のMT編成がやってきた。

帰りの石越行電車を待っていると、日は傾き暗くなった駅周辺の家々の煙突から夕飯の煙が立ち上っていた。ひと気のない駅のベンチに腰を下ろし、ぼんやりと夕空を眺めていると、一人の地元の老人が、こちらを見てコンチニハと挨拶されたのには驚いた。東京と違って東北ではこんな挨拶は当たり前のようだ。

栗原電鉄の旅は、決して魅力溢れる沿線風景や名所旧跡に出会える旅ではなかった。ただ、空腹のまま歩いた田園と、同じ型の電車の往復。そんな単調さのなかに、なぜか今でも忘れがたいものがある。



駅のそばに松の木と石碑が静かに佇んでいた杉橋駅.


杉橋駅の周辺に民家が数軒.



記念に買った子供1区間の車内券.


2025年7月4日金曜日

中千住駐泊所ーネルソンと人情と、友の記憶

 昭和38年の3月、その頃大学2年だった私は友人の“ガンちゃん”に誘われて、東武鉄道の中千住駐泊所を訪れた。

ガンちゃんは高校時代の同級生。東武の蒸機に並々ならぬ情熱を持っていた男だった。どこか憎めない江戸っ子気質、撮影よりも機関車そのものに惚れ込んでいるようであった。「今、中千住に行けばネルソンがまだいる。いつ消えるかわからないぞ」私は東北方面のナローゲージばかりに気を取られていた頃だったが、彼の熱意に押されて共に出かけた。

中千住の駐泊所は、町の中に小さく纏まった機関区で、黒光りするネルソン63と64号機(B6形)が静かに休んでいた。蒸機の傍にいたのは、年配の機関士だった。少し離れて見ていた私たちに気づくと、彼は声をかけてくれた。そうして始まった機関士との短い会話。ガンちゃんは饒舌だった。彼の蒸機への知識と熱意に、機関士も次第に表情をほころばせ、やがてキャブに上がることを許してくれた。

石炭の匂いと油に包まれた空間で、機関士は静かに話をしてくれた。私はただその場の空気に浸っていたが、ガンちゃんは真剣な眼差しで彼の話を一つも聞き逃すまいとしていた。

あの時のネルソンも、あの機関士も、そしてガンちゃんも、もうこの世にいない。
ガンちゃんは趣味を長く続けられないまま、世を去ってしまった。

構内に漂っていた石炭のにおい、ネルソンの鈍い黒光り、そして蒸機を愛した一人の友人、それらは今も記憶の奥の片隅に残っている。
1963.3.25



中千住駐泊所のネルソン63号機.


ネルソン64号機と機関士.


機関士さん.



私の記念写真。ガンちゃんは絶対に記念写真は撮らなかったし、彼を撮らせてくれなかった。「フィルムが勿体ないから撮るなよ」とよく言っていた。

2025年6月30日月曜日

花巻電鉄 西鉛温泉「愛燐館」

2015年12月13日投稿記事のリニューアルです。

花巻電鉄軌道線の終点、西鉛温泉。そこにあったのは、駅舎もなくただホームが一つあるだけの、静かな終着駅だった。すぐ脇の砂利道を埃舞い上げて一台のトラックが通り過ぎていく。駅前には一台のバスが停まっており、待合室の看板に「愛燐館」の名が見える。おそらく、このバスで温泉客が宿へと向かうのだろう。

あれから61年、この「愛燐館」に先日宿泊した方から数日前の宿の写真が届いた。かつての素朴な風景から今の立派な旅館まで年月が流れても、この地の風景は変わらず旅人を迎えてくれているのだろう。

1964.8.2

前方に愛燐館の看板が見える、バスが温泉客をお出迎え.


西鉛温泉駅.


電柱にある駅名と時刻表.

鉛温泉側から見た線路の先が終着駅.山あいを流れる豊沢川に沿って温泉宿が点在している.駅を降りて温泉へ向かって道路を歩いている人の姿が見え、宿は近そうだ.

以下のカラー写真 撮影:赤鬼さん

バス停新鉛温泉から見た現在の愛燐館.


立派な愛燐館の建物.


愛燐館の灯篭と旧軌道線跡.左へ下ったところに旧鉛温泉駅(西鉛温泉の1駅手前)があった。

2025年6月16日月曜日

西大野の交換風景

FBで好評でしたのでブログにも掲載します。  


西大野の交換風景.1962.8.1

ホームに高下駄の学生、列車同士が静かにすれ違う。左の尾小屋行き列車の最後尾にオープンデッキの2軸客車。デッキに立つ一人の女性が静かに風景を眺めていた。彼女の横顔はどこか旅情を帯びて見えた。

今では見られなくなった素朴な鉄道風景が、そこには息づいていた。先日の金平駅を撮ったのはこの尾小屋行列車のオープンデッキからだった。
               

2025年6月9日月曜日

真夏の金平

タイトルバックを変えました。
この写真は尾小屋行列車の2軸客車オープンデッキから撮った金平です。今日の鹿部電鉄さんのコメントにあったように確かに線路がヨレヨレナローではなく立派に見えます。草が生えていない。



金平 1962.8.1


この写真から十年後、静かな金平駅にも変化の波が押し寄せていた。1970年代初頭、ディスカバー・ジャパンの旅ブームとSLブームが重なり、鉄道は再発見の対象となった。ナローゲージの趣味の世界に目覚めた高校生や大学生たちが、カメラ片手にこの地にも足を運んだという。

木造の小屋と給水塔、軌道に沿った田の広がり──そんな風景に、彼らはどこか懐かしさと夢を重ねていたのだろう。鉄道写真、ナロー鉄道模型、そして音楽──多くの若者が自分の居場所を探し続けた、1970年代初頭はそんな趣味の大転換期だった。


2025年6月6日金曜日

西武鉄道 西武園線

西武園線沿線に菖蒲が咲く季節.

 2025.6.4


菖蒲は来週初め頃が全盛期になるようだ.

北山公園の菖蒲苑






東村山駅 西武園線


東村山駅 国分寺線


2025年6月2日月曜日

夕暮れ時の中井駅

 西武新宿線 中井駅を夕暮れ時によく利用することがある。

大江戸線を下車し、新宿線・中井駅へ向かって、日が暮れかかった商店街の小さな通りを歩く。店先の灯りがぽつぽつと灯りはじめ、なんとなく下町風の親しみが漂う。そんな通りの先に、いつもの踏切が見えてくると、ふと足が止まる。

踏切を通過する電車、赤く光るちょうちん、カーテン越しに覗く居酒屋のあたたかな気配。角にはみずほのATMと、自転車。街のあかりと空の青が混ざり、この時間が少しだけ昔の東京を思い出させてくれる。

ほんの一瞬、通り過ぎる風景の中になにか心を引きとめるものがある。そんな時間が中井にはある。


中井 2025.6.1


2025年6月1日日曜日

宇都宮ライトレール

初めて乗ったLRTは新鮮で刺激的であった。
乗心地(振動)、静粛性、スムーズな走行と加速にこれまでの路面電車のイメージが消えた。線路を見ればまるで高速鉄道のような立派なレールと道床。
JRで宇都宮へ来てLRTを利用する客にとって乗換えと買物の動線が実によく出来ていて、宇都宮へ来たら外せない宇都宮餃子のお薦め店へスムーズに行けた。
今回は飛山城跡までの試乗だったが、7月にはゆっくり訪問する予定。


自然豊かな飛山城跡駅の周辺.2025.5.30





平日午後の列車は5本/1時間もあり待たずに乗れてとても便利.飛山城跡駅



宇都宮と言えば餃子とLRT.


2025年5月29日木曜日

みりんの流山


馬橋駅 2025.5.28


62年振りに馬橋から流山電鉄(現流鉄流山線)に乗って今の流山駅見て来ました。

当時、流山駅の一端にあった貨物駅から野田醤油醸造㈱(現流山キッコーマン㈱)のみりん工場に貨物線が延びていた。


62年前の流山駅前に貨物線の端が見える。 1963.3.31

現在の流山駅


カーブしてみりん工場へ延びる貨物線の痕跡。


流山駅の貨物駅から延びる引き込み線 1964.4.23  撮影:田辺多知夫
流山駅の一端に貨物駅とみりん工場の引込線み線があった。小型木造貨車ワフ31が消えた翌1966年に引込み線が撤去された。この写真を撮った時のみりん工場は野田醤油醸造㈱であった。




春の田園風景を行く混合列車モハ100形+ワ11。1964.4.23  撮影:田辺多知夫
みりん輸送に使われたと思われる小型木造貨車ワ11(1964年10月廃車)とワフ31(1965年10月廃車)はこの写真の直後に廃車となった。

流山駅の貨物ホームにいた美しい貨車ワフ31。ここのポイントから右方向にみりん工場まで貨物線が延びていた。流山 1962.3.31


白みりんミュージアム


一茶双樹記念館


赤城神社

2025年5月26日月曜日

寂れた七窪駅



庄内砂丘の中にひっそり佇む現役時代の七窪駅.1966.2.28


寂れた駅と言えばまず思い浮かぶのは、庄内砂丘の中にぽつんとあった庄内交通七窪駅の風景だった。 ここはまだ列車が走っていた時代の記録だが、列車が去った構内には人影もなく、潮風に晒された駅は静まり返っていた。いわば“現役鉄道の寂しさ”が漂っていた駅だ。

当時の私は、列車が写っていない写真にあまり関心がなかった。ましてや廃線跡などは、自分にとっては“終わった場所”にしか見えなかった。だから、こうした寂れた駅の写真も、当時の私にはただの一枚にすぎなかった。

ところが今では、廃線跡や廃駅を撮る“廃墟写真”という分野が市民権を得ている。鉄道が廃止になったあとの風景にこそ、賑わいがあった時代を想像する物語があるという。現役時代の痕跡を辿り、その余韻をデジタル画像で浮かび上がらせる試み。それが今の写真表現の一つになっている。

確かに、現代のデジタル処理は目を見張るものがある。色の演出、コントラストの妙、空気感の操作── もし60年前の七窪駅を今の技術で再現したなら、この風景はどんなふうに蘇るのだろうか。
潮風に揺れる防風林、枯草、木造駅舎の風化した壁、かすかに感じる生活感。 そんな細部に七窪駅にかつて刻まれていた時代のことを、今だったらもっと深く捉えられた気がする。

そして、鉄道が“動いていた”こと以上に、鉄道が“消えた跡”の深さを知ったのは、つい最近である。



七窪駅の引込線に使われなくなった客車が休む.七窪駅の片隅.


先日、出版された凄い廃線写真集.