ー仙北鉄道 築館線の残照ー
鉄道が動いていた時代のこと以上に、鉄道が消えた後の線路の風景には深さがある。
そんなことに気づいたのは、撮影したずっと後のことだった。昔、鉄道写真といえば「列車ありき」で、車両がいない写真には興味がなく、ましてや廃線跡となると、“もう終わった鉄道”という認識しかなく撮りに行くこともなかった。
この写真はその頃に撮った一枚。仙北鉄道 築館線の廃線跡。当時私は何の感慨もなくシャッターを押したのは「記録として残すだけ」の感覚だった。ところが後になって見ると、妙に心に残る。
花岡行と小坂行の発車案内が表示された大館駅. 1966.03.0
昭和41年早春、奥羽本線の大館駅に降り立った。雪の残るホームには、ありふれたキハと機関車が発着を繰り返していた。かつて鉱山を結んで走った小坂鉄道も、今やナローゲージの面影を失い、1067mmへと改軌されていた。改軌は昭和37年10月のこと。乗車券には「同和鉱業小坂鉄道線」と記されていた。
大館からは小坂線と支線の花岡線が分岐していたが、構内の風景はどこか味気なかった。軽便鉄道らしい車両や線路の表情は、もうそこにはなかった。
書物によると小坂のナロー時代は、軽便とは思えぬほど重厚で威風堂々としていた。その時代の客車をこの数年前に越後交通栃尾線で見たことがある。今、改めてその写真を見ると、冬景色の大館駅が思い出された。
ナローが改軌されても、車両が変わっても、あの大館駅の小坂鉄道には時代を越える風格があった気がする。その日は、津久毛から細倉方面に歩き出した。暖かい早春の陽が田畑を照らし、仙北鉄道沿線にも似た風景が広がっていた。田んぼの向こうに並ぶ農家のわら葺屋根。冬枯れの黄色い草むらの間から早くも新芽がのぞき、名も知らぬ木の花が満開だった。
よく考えてみれば、朝から何も食べていなかった。次の杉橋駅なら駄菓子屋くらいはあるかもしれない──そんな淡い期待を抱きながら歩いた。
到着した杉橋駅の周辺には、ぽつりぽつりと人家があった。駅は無人駅だった。駅のそばに松の木と石碑があり、ほんの少しだけ旅情を感じさせる風景が広がっていた。
駅前に商店街はなかったが、ふと見つけた淡路島で見たような素朴な駄菓子屋。今ならコンビニに当たる存在だろう。ここでようやく昼食にありつけた。菓子パン2個、合わせて35円。川辺に腰を下ろし、それをかじる。ようやく落ち着いたそのとき、M15形のMT編成がやってきた。
帰りの石越行電車を待っていると、日は傾き暗くなった駅周辺の家々の煙突から夕飯の煙が立ち上っていた。ひと気のない駅のベンチに腰を下ろし、ぼんやりと夕空を眺めていると、一人の地元の老人が、こちらを見てコンチニハと挨拶されたのには驚いた。東京と違って東北ではこんな挨拶は当たり前のようだ。
栗原電鉄の旅は、決して魅力溢れる沿線風景や名所旧跡に出会える旅ではなかった。ただ、空腹のまま歩いた田園と、同じ型の電車の往復。そんな単調さのなかに、なぜか今でも忘れがたいものがある。
昭和38年の3月、その頃大学2年だった私は友人の“ガンちゃん”に誘われて、東武鉄道の中千住駐泊所を訪れた。
ガンちゃんは高校時代の同級生。東武の蒸機に並々ならぬ情熱を持っていた男だった。どこか憎めない江戸っ子気質、撮影よりも機関車そのものに惚れ込んでいるようであった。「今、中千住に行けばネルソンがまだいる。いつ消えるかわからないぞ」私は東北方面のナローゲージばかりに気を取られていた頃だったが、彼の熱意に押されて共に出かけた。
中千住の駐泊所は、町の中に小さく纏まった機関区で、黒光りするネルソン63と64号機(B6形)が静かに休んでいた。蒸機の傍にいたのは、年配の機関士だった。少し離れて見ていた私たちに気づくと、彼は声をかけてくれた。そうして始まった機関士との短い会話。ガンちゃんは饒舌だった。彼の蒸機への知識と熱意に、機関士も次第に表情をほころばせ、やがてキャブに上がることを許してくれた。
石炭の匂いと油に包まれた空間で、機関士は静かに話をしてくれた。私はただその場の空気に浸っていたが、ガンちゃんは真剣な眼差しで彼の話を一つも聞き逃すまいとしていた。
あの時のネルソンも、あの機関士も、そしてガンちゃんも、もうこの世にいない。
ガンちゃんは趣味を長く続けられないまま、世を去ってしまった。
構内に漂っていた石炭のにおい、ネルソンの鈍い黒光り、そして蒸機を愛した一人の友人、それらは今も記憶の奥の片隅に残っている。
1963.3.25
FBで好評でしたのでブログにも掲載します。
ホームに高下駄の学生、列車同士が静かにすれ違う。左の尾小屋行き列車の最後尾にオープンデッキの2軸客車。デッキに立つ一人の女性が静かに風景を眺めていた。彼女の横顔はどこか旅情を帯びて見えた。
今では見られなくなった素朴な鉄道風景が、そこには息づいていた。先日の金平駅を撮ったのはこの尾小屋行列車のオープンデッキからだった。
西武新宿線 中井駅を夕暮れ時によく利用することがある。
大江戸線を下車し、新宿線・中井駅へ向かって、日が暮れかかった商店街の小さな通りを歩く。店先の灯りがぽつぽつと灯りはじめ、なんとなく下町風の親しみが漂う。そんな通りの先に、いつもの踏切が見えてくると、ふと足が止まる。
踏切を通過する電車、赤く光るちょうちん、カーテン越しに覗く居酒屋のあたたかな気配。角にはみずほのATMと、自転車。街のあかりと空の青が混ざり、この時間が少しだけ昔の東京を思い出させてくれる。
ほんの一瞬、通り過ぎる風景の中になにか心を引きとめるものがある。そんな時間が中井にはある。
初めて乗ったLRTは新鮮で刺激的であった。
乗心地(振動)、静粛性、スムーズな走行と加速にこれまでの路面電車のイメージが消えた。線路を見ればまるで高速鉄道のような立派なレールと道床。
JRで宇都宮へ来てLRTを利用する客にとって乗換えと買物の動線が実によく出来ていて、宇都宮へ来たら外せない宇都宮餃子のお薦め店へスムーズに行けた。
今回は飛山城跡までの試乗だったが、7月にはゆっくり訪問する予定。
当時、流山駅の一端にあった貨物駅から野田醤油醸造㈱(現流山キッコーマン㈱)のみりん工場に貨物線が延びていた。