今回「地方私鉄 失われた情景」を出版してネットやメールでいろいろ感想を頂戴しました。その中で同じ機芸出版社から出版された有名な「鉄道風景30題」の著者 河田耕一さんがFBに投稿されたコメントの一部を紹介させてもらいます。
「写真に出てくる人たちの生活は鉄道によっていました。それは懐かしい風景であり、商店街、映画館、
琺瑯看板、助産院
、食堂があり、子どもたちがお出かけ服装で乗っています。鉄道も苦しい経営ながら、他の鉄道が不要になった車両を譲り受け、ぼろぼろになるまで使っています」との記述。
河田さんのコメントで、私はあの時代のまるでジオラマのような情景は、懸命に生き延びてきた小鉄道と人々の賑わいある生活から、あの時代の社会の縮図である気がしてきました。
懸命に生き延びる地方私鉄の事例として、払い下げ車両を自社工場で改造するのが盛んであった栃尾線、貴志川線、野上電鉄、淡路交通、駿遠線など、そんな小鉄道の魅力が目に浮かびます。
ある時代の写真やジオラマの情景の魅力とは何か? 一般の人々にとっては単なる懐かしい昭和の風景に過ぎないが、地方私鉄ファンの私にとってはあの時代の車両、鉄道施設、街並み、民家、人々、沿線風景などの情景に、懐かしさ以上に情緒(味わい)を感じます。
越後交通栃尾線 長岡工場内で改装中の元草軽客車。1964.3.22 1967年11月に車庫・車両工場が下長岡に移転するまで、このような車両工場で次から次と奇怪な車両が生まれて来た。まるで縮尺1/1の模型のような電車もあった。
栃尾線の吊り掛け式モハ217の1M3T編成で、元草軽の電車をサハに改造し総括制御編成に組みこんだ栃尾線近代化の時代。1975.03.08
貴志川線 伊太祁曽の小さな車両工場. 1965.8.4
庫内に休むモハ202と奥には改装中の小型電車らしき2両が見える。ここでもガソリンカーの電車化改造を数々やってきた。貴志川線 朝の通勤・通学列車. 東和歌山 (モハ201+クハ803+モハ202)
ドアを開け放した夏の通勤・通学列車は満員で東和歌山に到着する.元ガソリンカーだった電車の3両編成はとびきり魅力的であった。これら車両の魅力だけで情景となる。
野上電鉄 日方工場.1965.8.4
数々のガソリンカーの電車化は見事でその後、関西大手私鉄の払下げ車をネタに手持ち中古部品を組合わせて多くの野上仕様に仕上げてきた日方車庫。
野上電鉄 関西大手私鉄の払い下げ車が勢ぞろい。
淡路交通 宇山工場. 1965.8.2
様々な電車化や自社開発を手がけて来た淡路交通の車両工場。南海払下げ車の車体交換の他は殆どの車両がカソリンカーの改造に次ぐ改造の電車であった。
淡路交通 通勤客を乗せて洲本へ向かう準急モハ2007
どの電車もガソリンカーの改造車で、
モハ2007は2台の強力モータを床下にぶら下げて気動車用菱枠型台車にプロペラシャフトで駆動する直角カルダン駆動方式。
6 件のコメント:
ガソリンカーを電車に化けさせるのは朝飯前、単台車を切り継いでボギー台車にしたり、ビューゲルを2個組み合わせて怪しげなパンタグラフにした例もあります。静鉄は自社でカルダン車を製作しているし、地方私鉄の工場のアイディアと工作力は侮れません。
モハメイドペーパーさん
その通りです。
懸命に生き延びた地方私鉄にはその鉄道独特の車両改造に魅力が溢れていましたが、
そんな魅力も時代の流れで一気に消滅してしまいましたね。
今回の本で鉄道ファン以外の人にあの時代の情景の魅力を説明するなら、
懸命に生きた小鉄道と賑わいある人々の生活があった地方と言いたいです。
あの時代地方の小私鉄の車庫には、驚くようなゲテモノから傑作と言える名機まで色んな電車や機関車、気動車がありましたね。中には日の目を見ずに改造半ばで力尽きた車両もあったと思われます。
当時それぞれがどんないきさつで改造されることになったのか知る由もありませんが、今思うとそれは誰の発案、指示で、具体的に材料の調達や設計作業はどうしていたのか、作業者はどこまで自分の裁量を許されていたのか、とても気になります。
車庫の脇には機械場や鍛冶場があって天井からのベルトで旋盤や鍛造機などが駆動されていました。重量物を運んだり持ち上げたりするのは門型の手動ホイスト(滑車)、何人かで力を合わせて組み立て作業をしたのでしょう。車庫で働く職人気質こそがその原動力であったのではないかと想像されます。
鹿部電鉄さん
あの時代の小私鉄の驚きの活力は乗客数がまだあった時代で、
それが車社会の到来で一網打尽に消滅してしまいましたね。
今はあの時の活力は通用しない時代で、
人口減で鉄道の合理化が進み鉄道が衰退するのみを感じます。
小鉄道の車両や時代背景が趣味的に面白い時代だったので、
今はあの時代の情景をジオラマに再現して楽しむのが盛んになったと思います。
あの時代を知らない世代までがこんな情景を楽しめる時代が来ると良いのですが。
日立電鉄や北陸鉄道も、小型電車の車体を頻繁に更新しながら使っていましたが、駆動装置まで改造してしまった栃尾電鉄や淡路交通の技術力は凄いです。羽後交通雄勝線も、古い車両でも車体の手入れは良かったそうだし、新品に交換する資金が無かった代わりに、まるで工芸品のように手間が掛かっていたのが、地方鉄道の魅力の一つでしたね。
車社会の推進で、地方の風景や生活スタイルも、都市郊外的な姿に様変わりしましたが、止まらない人口流出や、至る所に拡散したインフラの老朽化など、社会の持続性の面で問題が表面化してきているようです。
緑の猫さん
地方私鉄では羽後交通雄勝線や加悦鉄道のように博物館行のような古典車両でも
綺麗に整備して現役で稼働していたのが印象的でした。
頸城鉄道でも車体がピカピカで構内の線路は草むしりされてとても綺麗、
それが次第に車両は寂れた外観に変化し、構内には草が生えて行きました。
あの時代のクルマ社会への推進は地方私鉄にとって致命的で衰退しかなかったと思われます。
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