案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年2月5日水曜日

栃尾線 上見附駅風景

改めて昭和39年3月の上見附駅の写真を見てみると今の時代と更にかけ離れていく。
電車や電機による客車牽引が廃止になり総括制御時代になるまでこんなゲテモノ揃いが続いたのだろう。

撮影:1964.3.22
草軽のホハ18→栃尾のホハ18と草軽の番号のまま使われていた。
電機ED51に牽かれて栃尾からやってきた客車の小さいこと。その狭い車内はほぼ満席、スイッチバック駅上見附で電機の付替えをすると長岡へ向けて発車する。貨車は材木ではなくよく見るとドラム缶のようだ。駅舎、周辺の民家どれもが時代を感じさせる。

 電機が編成を組み直している。

電機を先頭につけると混合列車は長岡に向けて発車して行った。

同じホームで今度は元草軽ホハ18とは正反対のガソリンカー崩れの大きなトレーラがやってきた。 栃尾線は寄せ集め車両で小~大まで車体サイズがバラバラなところが楽しい。

6 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

 ここは電化されたナローなので行きたかったのですが、その機会に恵まれないまま廃止になってしまいました。運輸省の肝いりで高速化の試験をやったり、なかなか意欲的だったのですが。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
近鉄ナロー線と同様に栃尾線も総括制御時代から近代化軽便でしたね。
三交時代からまともな電車の近鉄ナロー線と違って栃尾線は継ぎ接ぎだらけの近代化のイメージがありました。一貫性がない近代化から脱皮できないままあっという間の廃線。
近代化の努力が報われずほんとうに悲惨な廃線でしたね。

鹿部電鉄 さんのコメント...

度々お邪魔します。
窮屈な大沼電鉄に乗り降りしながら、3'6"の1/3より2'6"を1/2スケールで作った方が扱いやすいだろうなぁ、と思ったことがありました。栃尾線には格好の題材がありましたね。ところで越後交通の車両は静態保存も含めてどこにも残されてないのでしょうか、聞いたことがありませんが。

katsu さんのコメント...

鹿部電鉄さん
軽便ならサイズがいろいろとありますから題材によっては1/2スケールもよいかも知れませんね。
30インチ(762mm)の1/2が15インチゲージというところが面白いです。

栃尾線は車庫の近くにこれまで努力してきた近代化車両などを集結させて一斉に潰したようです。
何両か残して欲しかったものです。
尾小屋鉄道の保存とは対称的で悲惨な最後の路線の一つだと思います。

esehoku さんのコメント...

長岡市かどこかの郊外にあるラーメン屋さんの駐車場に、元とってつの電車が保存されていた覚えがあるのですが…あれ、もう無くなってしまったのでしょうか?(もしも残っていたならすみません。)
当時のカラーが色褪せながらもそれなりに残っていて、むしろリペイントするよりも自然な感じで良かったと思ったのですが…。
私は長岡線も含めて、廃線後にしか探訪する機会がなかったのですが、やはり興味を強く引かれたのはナローのとってつの方でした。
気動車にそのままモーターを換装したゲテモノ電車とかを鉄道誌で見ていましたが、実際に見る事は叶いませんでしたから、現役時分に見てみたかったです。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
それは元草軽の電車だったと思います。
写真をみると保存状態がよくなかったので今はどうなっているでしょうか?

栃尾線の車両はまるで1/1スケールの模型のようでした。
ゲテモノ揃いの車両は博物館の保存電車見るよりも楽しいと思います。
こんな貴重な産業遺産が何も残らなかったことがほんとうに悔しいですね。