案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年7月11日木曜日

上田丸子電鉄別所線のクハ273

上田丸子電鉄別所線の上田駅にいた元気動車のクハやサハ。その中で手前から2番目の元電車風の大柄なクハ273。一体これの元は何なのか。   1970.8.15 上田

窓配置がdD6D6D1、ベンチレータが左右に各6コ、のクハ273

 
クハ273の部分カット

何となく異質な3扉クハ273。 上田


何とクハ273の元はあの東横の気動車であった。
東横キハ1形→神中キハ1→相模クハ1115→相模クハ2505→上田クハ273
(これは多くの人が調べて分かっていることです)
関東鉄道鉾田線のキハ42201(元東横キハ2) 1966年8月 石岡

9 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

えーーーー!

esehoku さんのコメント...

今で言う「魔改造」じゃないですかー!

katsu さんのコメント...

にぶろくさん、esehokuさん
上田駅の構内にいたクハ273は元東急あたりかと思って1枚も撮っていませんでした。
今回、改めて細部を見るといくつか変わったところがあり、調べてみると思いも因らない元気動車でした。
譲渡先の相模鉄道で制御車に改造されたそうです。

モハメイドペーパー さんのコメント...

 東横キハ1形改造のクハ2500形は5両あり、2両は日立電鉄に譲渡されています。台車を見ると元気動車だということが推察できますね。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
そり通りですね、鹿島参宮へ譲渡された2両以外で
神中→相模鉄道でクハ化された5両の譲渡先は
日立電鉄2両
上田丸子電鉄2両
日立製作所1両
で、有名な話かもしれません。

なと。 さんのコメント...

クハ改造され、正面3枚窓になった姿が結構好きでした。
丸窓の5250と組むと軽快なガソ改造のクハと鈍重なモハの対比が面白かったのを覚えています。
余談ですがガソ改造の車両って、いわゆる「編成美」にはマッチしないものばかりの気がしますが、その代わりに興味津々の田舎電車にはピッタリの存在だった気がします。

katsu さんのコメント...

なとさん
>丸窓の5250と組むと軽快なガソ改造のクハと鈍重なモハの対比が面白かったのを覚えています。

私はこの編成が走っていたとは全く知りませんでした。
そのアンバラスな組合わせが堪らない魅力ですね。
上田駅で写真を撮った時はクハ273が休んでいたので朝夕にはきっと出動したのでしょう。
元気動車のサハ、クハは出所が様々であり凸凹編成が魅力なのは軽便の魅力とよく似ていると思います。

esehoku さんのコメント...

元気動車のクハ・サハもですが、「編成美」とは無縁の上田交通の印象を最も象徴づけたのは、旧型車時代晩年の、丸窓5250型と元東急『平面ガエル』のコンビだったと思います!
幸い、あれには間に合いました。
珍編成もまた、上田に限らないですが、昭和の地方私鉄の魅力だったですね。

別のページで、昭和の鉄道を8ミリで記録した台湾の?物がyoutubeにアップされているのが代打・山本様からコメントされていましたが、私も寝不足覚悟でチェックしています(笑)。
我が?石川県の金石線と尾小屋鉄道、そして加南線の河南駅が出てきたのには驚きました!
上田丸子はまだ見つかりませんが…この調子では多分出てくるのではないかと思います。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
上田交通平面ガエルで画像が続々と出てきました。
こんな時代があったのですか。
地方に馴染んだ整形前青ガエルならよいですが、この平面ガエルと組んだ丸窓は珍編成ですが美的にはよくないですね。
その点、元神中などの気動車改造の編成には美しさを感じてしまいます。
次々と出てくるあの8mmはマイナーな路線をよくぞ撮ったものだと思います。