案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年8月13日月曜日

昭和38年 田辺さんの東京散歩

1964年東京オリンピック開催後、昭和40年代に入ると東京の風景も面白くなくなってしまった。ところが、その僅か数年前の昭和38年の東京にはこんな風景がころがっていた。当時はこれが当たり前で私はカメラを向けることがなかったが、今、写真で見ると大変な風景だったのだ。

撮影:田辺多知夫 1964年12月
都電はやはりこの時代の車が入るとインパクトがある。

今やお洒落な恵比寿駅前もこんな風景であった。

恵比寿から駒沢通りを中目黒へ向かう8系統。

 恵比寿の米軍DD12
部分拡大

ED17

ED16

五反田駅前

2 件のコメント:

狂電関人 さんのコメント...

katsuさま

ホント、都電もさることながらクルマに目が行ってしまいます(笑)
36年生まれの自分は、1枚目の手前のクラウンのパトーカーをブリキのおもちゃで持っていましたし。
トラックといえば、大型は全てボンネットタイプで道路事情から開発されたオート三輪は、
子どもながらにインパクトがあって、その汲み取り車が路地から迫ってくると怪物に襲撃されたような・・・。
確か小学校に上がる頃にようやく日野あたりからオーバーキャブのトラックが登場して
ミキサー車か何かのミニカーで得意げに遊んだことが思い出されました。

katsu さんのコメント...

狂電関人さん
私はクルマファンではないので、クルマだけ撮った写真を見てもあまり関心ないのですが、
何故か鉄道情景の脇役に写った当時のクルマを見ると俄然ふるいたちます。
当時の建物も人もみなそうで、主役の鉄道を引き立てる脇役が重要なんですね。
当時、鉄道の敵と嫌っていたクルマがこんなことになるとは思いもよりませんでした。
鉄道を通じてその時代を見る、時代を取り込んだ鉄道写真は楽しくなります。