案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年11月22日日曜日

松尾鉱業鉄道 雲上の都市があった頃

1966年3月の私鉄めぐりも宿代わりの夜行列車で東北ぐるぐる回りの連続で、松尾鉱業鉄道へ向かう時の寝不足はひどかった。仙台で夜行列車に乗り深夜2時に盛岡に到着し駅待合室で寝て花輪線の一番で松尾鉱業鉄道が出ている大更へと向かった。
松尾鉱業鉄道の雲上の楽園はすでにアップされていますが、同行した田辺さんが東八幡平駅で別角度で撮った写真をアップしてみます。

東八幡平の駅の背後に迫る山並みの上にまだ「雲上の都市」の生活があったようだ。この頃鉱山はピークの時代を終え終焉の時代を迎えていたようだが、2両の客車には大更へ出る乗客が結構いた。東八幡平の駅前に生活感は何もないので乗客のほとんどは雲上の都市に生活している人達だったのでしょう。
終着駅 東八幡平   1966.03.02

殺伐とした東八幡平の駅前には生活を感じさせるものは何も無く地面がツルツルに凍結していた。ここから山の上に鉱山ロープウェイらしきものが見えるが雲上の都市の住民はバスで駅まで降りてきたようだ。

東八幡平からやってきた乗客はここで花輪線に乗り換える。花輪線に乗って盛岡へ買い物のお出かけでしょうか。 大更  1966.03.02


東八幡平駅の鉱山輸送 ED252

2 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

松尾鉱業鉄道は、丸田祥三さんの廃墟写真で印象深いのがありました。
そのイメージが強く、現役時代の画像と対比すると、まさに栄枯盛衰ですね。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
丸田祥三さんの廃墟写真をネットで見てみましたが凄い写真ですね。
けっこう鉄道の廃車体などもあるので鉄道好きなのでしょうか。
廃墟マニアの間では松尾鉱山の「雲上の都市」廃墟はかなり有名のようですね。
現在生きているものよりも役目を終えた廃墟を撮影対象とするのは面白いジャンルだと思います。