案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年4月17日金曜日

ベタ焼写真から 最後の山梨交通

甲府駅前の南口にあった小さなターミナルビルから発車していた山梨交通鉄道線。
昭和37年3月に父が撮ってきてくれた山交甲府駅のネガが行方不明で、残されていたのは小さなベタ焼の数コマであった。ベタ焼きからスキャンした不鮮明な画像から山梨交通を偲んでみました。

この写真の3か月後、1962(昭和37)年6月いっぱいで山梨交通鉄道線は消滅した。
この鉄道の情緒あふれる情景と魅力的な訪問記がRMライブラリー5 花上嘉成著に収められています。

甲府駅 1962年3月
2階建てのビル「山梨交通電車のりば」の中に入ると薄暗く狭苦しい2面のホームがあった.
廃線直前だがけっこう乗客で賑わっている

1形モハ3号
昭和4年雨宮製の妻面の感じが京王電気軌道151形に似ている.

ここに写った1形2両は雨宮製のステップが下がったタイプで、山梨交通の電車といえばこの1形がイメージされる。一方7形は1形とはイメージ異なる高床式で上田丸子へ転籍しその後江ノ電で改造されたことでよく知られている.

甲府駅を出発すると直角に曲がり鶴舞公園沿いの道路を走る.
日中は着脱式ヘッドライトを外していた

警察署前までさびれた通りの併用軌道区間を走る.


以下は山梨交通廃線後の7形2両のその後

   信越線と並走する丸子線に入線直後の赤い7形の姿があった.1963.7.20

元山梨交通7形が休む上田丸子電鉄別所線の下之郷駅 1970.8.17

山梨交通廃線から8年、詩情あふれる下之郷駅と元山梨交通の電車

元山梨交通7形のモハ2342+2341. 下之郷
留置されていた電車の写真をよく見ると山梨交通からやってきた高床式電車2両であった。
昭和38年に入線し改造後丸子線で使われ、この留置の翌年に江ノ電に譲渡され連節車となった。
山梨交通時代の7形とはすっかりイメージが変わったモハ2341. 下之郷


参考図書: RMライブラリー5「山梨交通鉄道線回想録」花上嘉成著 ネコ・パブリッシング発行

2015年4月7日火曜日

歌川模型店 (記事リニューアル)

吉祥寺ハモニカ横丁にあった歌川模型店を本ブログで紹介したのが2012年4月25日。
昭和の雰囲気を残しながら目まぐるしく変貌していくハモニカ横丁。
懐かしい歌川模型店があったハモニカ横丁のその後を追加しリニューアルしてみました。


歌川模型店の写真は店じまい直前の2005年3月であれから10年が過ぎた。
2012年にブログで紹介した時は、歌川模型店や民芸酒蔵「峠」がついこの間まで存在していた感じだったが今になると遠い昔のことに思えてくる。それだけハモニカ横丁が年々変貌しているせいだろう。全てを壊して新しくするのではなく、昔ながらでも活きの良い店は生き残り、新業態の店が次々新陳代謝していくハモニカ横丁。こんな混沌とした活気ある横丁が人々を惹き付けている。

懐かしさ満点の歌川模型店は懐かしさがウリだけでは生き残れなかったのでしょう。ハモニカ横丁を象徴するような店だったので残念です。

歌川模型店があったところは「塩トマトラーメン店」から「やきとん酒場」に.2015.04.02

歌川模型店があったところは「塩トマトラーメン店」に. 2012年11月

歌川模型店近辺の「みんみん餃子」や隣の店(果実の看板)は今も残る.  2005.03.03

昔ながらの歌川模型店.  2005.03.03
ショーウンドウには子供の頃に憧れた3線式0番模型などが並んでいた.


みんみん餃子の通りの今. 2015.04.02

民芸酒蔵があったところは新業態の今風の店に.2012年11月

この角に民芸酒蔵「峠」があった. 2005.03.03


10年前の入り口から見た通り全体. 2005.03.03
この奥に歌川模型や民芸酒蔵峠がまだあった時代

2015年4月2日木曜日

下北沢駅の今

東京郊外の桜も今日が最後でしょう。
井の頭線に乗って下北沢駅の現状をちょっとだけ見てきました。

下北沢の地上駅が地下に切り替えてから早や2年、その後どんなになったことでしょうか。
地下2階の各停用ホームの工事が真っ盛りのようで地上駅の跡地は今も工事現場であった。
そして駅前の戦後のアーケード街は見るたびに取り壊されて行く。

富士見ヶ丘 - 高井戸 2015.04.02

高井戸駅を彩る神田川の桜

高井戸 - 浜田山

いかにも私鉄らしい井の頭線の島式ホーム 浜田山


下北沢駅のホーム脇あった踏切の跡はひっそりとしている.

井の頭線のガード下にあった下北沢駅ホームの跡地.

今も一部が営業している下北沢アーケード街

取り壊した空地に懐かしい店舗が1軒

何年も何年も時間かけた地下化の大工事が終わると下北沢の地上風景も大変貌することでしょう。