案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年2月10日火曜日

淡路交通 昭和40年の洲本2


地図にある番号順に更に進んでみます。

8月2日の盆踊りの音が流れる淡路島まつりの夜は洲本駅近くの大衆旅館に泊まり、クマゼミが鳴く騒々しい3日早朝を迎えた。昨日同様に陽はガンガン照りで余りの暑さにランニング一枚になって洲本の宿を出発した。こういう場合、Tシャツ1枚になってが当たり前だがTシャツが出始めたのは1970年代からで、この頃はまだ出回って無かった。よそ者がランニング一枚で外を歩くなどは恥ずかしいことであったが、こんな姿で昨日目をつけておいた撮影ポイントへと向った。

➑洲本を発車し紡績工場の脇をカーブする. 1965.08.03

❾洲本川の橋の手前にある寺町に洲本行が到着、通勤客だろうか.

朝の順光側で遠く先山を望む洲本川鉄橋

❾洲本川をノソノソ渡ると宇山へ着く.変電所の建屋が見える.
朝日を浴びて洲本川の橋を渡る高校生を大勢見かけたが、夏休みで朝の部活だろうか.

➐が前夜の大衆旅館の位置で、これぞ貴重な洲本の体験で観光バスや観光ホテルの利用では絶対に分からない。

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