案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年3月17日月曜日

仙北鉄道の貨物列車

廃線前の仙北鉄道は貨物輸送も乗客輸送も賑やかで軌道の保守もしっかりし活気があった。会社が1964年に宮城バスと合併すると「宮城バス仙北鉄道」となり他の軽便同様にバス事業を主体とする会社の鉄道部門となった。

こんな「宮城バス仙北鉄道」になってからも続いた仙北鉄道の活気を昨年4月の「廃線前の活気」で紹介したことがありました。あの時の貨物列車は長大編成だけでなくこんな貨物もしきりに走っていました。よほど貨物量があったのでしょう。

DC102が忙しくロッドを振り回しながら浅部を通過して行く. 1964.08.04

佐沼駅の賑わい.長大編成から切り離されたニフの荷降ろし作業.1966.03.01
こんな荷物がニフで運ばれていた.

7 件のコメント:

#9999 さんのコメント...

こんなかわいい貨物列車も走っていたんですね。

訪問時、車輌はみんな現役で、整備も行き届き、見かけた廃車体はDC改造のハフ407 一輌だけでした。残念ながら、訪問した時期はいずれも収穫期の前で、長大貨物列車には遭遇していません。

仙北鉄道の車輌は国鉄並みに標記類がしっかり書かれていて、通常は貨物列車の最後尾には、係員が乗ったワフかニフが連結されていたようですね。それと、ニフとハニフが結構あったので、客貨分離がしっかりと図られていました。

家から近い東仙台駅には県北からの米を集積する食糧庁の米倉庫があり、収穫期を迎えるとワムでヤードがいっぱいになっていたのを覚えています。

katsu さんのコメント...

#9999さん
私が見た長大貨物列車は3月初めで肥料や資材などの輸送で走っていたようです。
2両居たニフはよく使われていました。一体どんなものを運んでいたのかちょっと佐沼駅の荷降ろし風景を追加してみました。

この時代の仙北鉄道や頸城鉄道の米の輸送は産地からトラックで軽便駅まで運び、小さな貨車に積込んで運び、更にそれを国鉄貨車へ積換えて運んでいましたね。
今のようにトラック輸送で一気に運ぶことは道路が未整備でロクな道路が無かった時代には考えられなかったでしょう。

#9999 さんのコメント...

貨物量の少ない私鉄なら混合列車のワフで済んでしまうところでしょうが、仙北鉄道は貨物量が多く、貨車と荷物車の積み分けが徹底していたんでしょうね。

荷物専用車を保有していた軽便は、栃尾線ニフ、頚城ニフ位で、あまり記憶にありません。栃尾のニフは貨車そのものですが、客車と同じツートンカラーに塗り分けられていた時代があり、私鉄では荷物専用車(荷物)と貨車(貨物)の線引きが曖昧ですね。

仙北鉄道は貨車も客車も形態的には一様で、へろへろミキスト好みの軽便ファンには物足りないかもしれません。私には一頃の国鉄軽便線を髣髴させます。

katsu さんのコメント...

>仙北鉄道は貨車も客車も形態的には一様で、へろへろミキスト好みの軽便ファンには物足りないかもしれません。私には一頃の国鉄軽便線を髣髴させます。

私も仙北鉄道で最も感じた事はその事でした。
軽便はへろへろだけではない、こんな繁栄して元気一杯の時代があったということです。
多くの軽便も遠い昔はこうだったのでしょう。
それが衰退し1960年代前半まではかろうじて5~6社に元気な軽便光景が見られました。
仙北鉄道はその代表格と思います。

katsu さんのコメント...

#9999さん、申し訳ありません
先ほど画像が崩れてしまい記事を作り直しましたので、
復元コメントの日付けと時刻が本日に変わっております。

宵闇 さんのコメント...

私の職場の女の子の田舎が築館だったようで、彼女のおばあさんが築館には昔鉄道が来ていた話をしていたと言っていました。

仙北鉄道の話をしたら、こんなかわいらしい列車だったんだと興味深々でした。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
私は築館という地名を聞くとゾクゾクきます。。
瀬峰から先に残っていた廃線跡が東北本線をアンダークロスし、その先へと延びていた夢のような世界。
バスが走っていた廃線跡の軌条が余りにも強烈で、築館線が走っていた頃の想像を膨らましてくれたものです。
全国的に広まった軽便の賑やかな頃を語ってくれるお年よりもどんどん居なくなってしまうでしょう。