案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年3月15日土曜日

仙北鉄道の貨車

1960(昭35)年、生まれて初めて見た軽便がこの瀬峰駅の仙北鉄道であった。青森行き鈍行列車が瀬峰駅に停車すると屋根上に案内「仙北鉄道のりば」がある駅に小さな車両がいる軽便の世界を確認することができた。夢中で蛇腹式カメラのシヤッターを押して撮ったのがこの写真で古いノートに1枚だけ小さく切って貼ってあった。この写真の4年後に仙北鉄道の訪問が実現した。

東北本線から見た仙北鉄道の瀬峰駅  1960年7月


花巻電鉄に続き仙北鉄道の貨車や荷物車を集めてみました。


国鉄と軽便の貨物積換えホーム ワ64 1966.03.01


ワフ5形53 1964.08.04


国鉄貨車と軽便貨車ワフ5形52  1964.08.04


ワフ5形54 1966.03.01


ワ610  1964.08.04


ト6形69   1964.08.04


ト6形68  1964.08.04


ニフ1409と1405   1966.03.01


ニフ1405   1964.08.04

2 件のコメント:

#9999 さんのコメント...

1960年というと、瀬峰から田んぼの中をゴトゴト揺られ、上沼という小さな駅まで行った頃とかさなります。鉄道趣味以前でしたが、青とクリームの木造客車(行きは確実に客車の方に乗りました)と、小さな貨車の立派な社紋を鮮明に覚えています。

1964年にkatsuさんが訪問された時は、数ケ月前に社名を宮城バスに改称したばかりで、新旧の社紋が混在していて、これもまた貴重な記録ですね。やはり厳しい旧社紋のほうが「軽便」の匂いが漂ってきます。
社線の連絡直通貨車ならまだしも、当時は軽便鉄道の貨車にも立派な社紋が入っていましたね。

katsu さんのコメント...

#9999 さん
合併の件、その通りですね。1964年5月に仙北鉄道が宮城バスと合併し「宮城バス仙北鉄道」になった直後の訪問で乗車券が宮城バスになっていました。ホーム屋根上の看板はまだ仙北鉄道でした。
合併で新旧の社紋が混在していたのには気が付きませんでしたが貨車の社紋でそれがよく判りますね。

1966年春の訪問でも乗客・貨物輸送が賑わっていたのにあっと言う間に消滅してしまったのは、宮城バスとの合併でそれまで仙北鉄道で育ったバス事業に注力したためなのでしょう。貨物輸送については1966年も長大編成で貨物輸送が活発でしたが、日本の道路事情が急速に良くなってきた時代でトラック輸送が時代の流れだったと思います。