案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年9月21日土曜日

八高線 金子坂を下ったところ

1967年頃よく通った八高線は金子から東飯能に向かって金子坂を下ると左にカーブし広い茶畑に出て西武池袋線と立体交差する。当時、西武池袋線のことは全く眼中になかったが昨年末に引退する西武101系を撮りに行った所はこの立体交差の近くであったことに最近気が付いた。現在の西武池袋線を元加治の先へ向かったところの風景はあの時の八高線の荒涼とした風景とどうしても結びつかない。

八高線  金子-東飯能 1967.02.03
金子坂を下ってきた石灰石運搬列車が入間川鉄橋、西武池袋線を越えて東飯能へ向かう.

西武池袋線と立体交差するところ. 金子-東飯能 1967.02.13

西武池袋線が八高線と立体交差する手前飯能側の風景.元加治-飯能 1967.02.13

立体交差過ぎた所沢側 元加治-飯能

昨年末の最後の101系. 西武池袋線 元加治-飯能  2012.11.07
この先で八高線と立体交差する.

西武池袋線が八高線と立体交差する所沢側の風景. 2012.11.07 

2 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

1967年の西武線電車に興奮してしまいました。
自分も単線時代に八高線を絡めて同じ場所に行きましたが、101系末期の再訪時は何処が何処だか分からない変貌振りでしたね。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん、こんにちは。
あの西武と八高線が交差する場所は、最近になって西武池袋線を撮りに何回か行っているのですが1967年頃の八高線・西武と結びつきませんでした。
今でも八高線で金子坂をローカル電車で下って来るのと、西武池袋線に乗って元加治にやってくるのでは同じ場所に思えません。
飯能から渋谷行きが発車するようになったのでよけい感じてしまうのかも知れません。
昨年秋、西武101系10連が引退する直前はchitetsuさんも同じ場所で撮られましたね。
私は西武101系10連を最後として、あれからめっきり西武を撮りに行く事もなくなってしまいました。