案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年6月16日日曜日

東京の郊外電車

昔、東京で「郊外電車」と言えば渋谷から吉祥寺へ向かう帝都電鉄(現井の頭線)モハ100形200形がその代表的な電車だったようで、幼い頃に絵本か何かで見たヒサシ付運転席窓とオデコライトの郊外電車が強く印象に残っている。
井の頭線の富士見ヶ丘で撮ったこの1枚。無残な2つ目ライトで全く関心が無かったが1403の経歴を調べてみるとこれこそは帝都電鉄モハ100形のなれの果てのようである。ライトを1っ目に戻し運転席窓ヒサシを付けたアンチクライマー付の前パンタ車を想像すると、何かで見たあの郊外電車の姿が目に浮かぶ。

デハ1403 富士見ヶ丘  1964年8月
永福町車庫の空襲で被災しなかったデハ1400・1450形3両が2代目1401~1403に改番されたそうだ.
その後の2灯化、ヒサシ撤去などの改造で本来の姿を失った.

デハ1403の編成に組まれたサハ1303も過去の遍歴が大変に複雑.
元祖は帝都電鉄モハ200形のようだが.

サハ1562

富士見ヶ丘の風景. 1964年8月
検車区が永福町から富士見ヶ丘へ移転される前で留置線があった.


小田急デユニ1002+デニ1101. 1962年9月  喜多見-成城
1960年にデユニ1002はクハ1551の車体に乗せ換えられた.
このデユニには小田急青電デハ1501+クハ1551(旧帝都所属車)時代の帝都スタイルの面影があった.

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

井の頭線のでは1400は京急230とならんで好きな電車でした。東急や小田急よりも窓が大きかったからでしょうか?
高尾線開業時のローカル用に1800+1400の2連が転属した際には、撮影に行きましたし、この編成をペーパー自作で模型化しました。
何処までもマイナー好きなものですから。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
そうでしたかお好きな電車だったんですね。
私はあの2灯化外観で関心を失っていました。
この電車京王線へ転出したのですね。
それにしても井の頭線の電車の経歴はあまりに複雑で胃が痛くなりそうです。

chitetsu さんのコメント...

帝都電鉄の生き残りの1400型、ハンサムな電車でしたね。
私が知っているのは二つ目玉だけなので、こんなもんかと思いましたが、好き嫌い別れる変な改造ですね。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
井の頭線で帝都の生き残りのことは私は全く知りませんでした。
井の頭線から転出して小田急1500形2連となった青電は印象深かったです。
これも帝都の生き残りらしいですが角ばった小田急に対し全体の丸みが美しかったです。