案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年11月11日金曜日

西武是政線 是政~白糸台

砂利積込場を奥へ進むと突き当たりに終点是政駅があり閑散としていた。
まだ住宅も少なく宅地開発はこのずっと後だったのだろう。
競艇場に近い砂利積込場の脇には、河川工事用なのか工事用機関車が置いてあった。
河川工事現場などでよく見掛けた機関車で、当時は注目されることもなく単なる土木機械程度にしか見ていなかった。
競艇場前駅の周辺も長閑なもので駅の先に延びる引込線には沢山の無蓋貨車が置いてあった。
砂利運搬線だけあって至るところに貨車が留置されていたが、貨物輸送もその後数年で廃止された。

終点是政駅  1962.8.27

貨車が並ぶ砂利積込場を走る武蔵境行き電車.   是政-競艇場前

競艇場前駅の風景    ↘分岐線


競艇場前駅の長閑な風景、そして右へ延びる分岐線.


分岐線を先へ進むと草むらの中に大量の貨車が留置されていた.




E12が牽く貨物列車.  白糸台  1963.5.19


E11と151形が休む白糸台車庫

3 件のコメント:

H.Kuma さんのコメント...

とても貴重な写真をありがとうございます。
まだ貨物で賑わっていた頃の沿線風景、今とは隔世の感があります。

かつて競艇場前駅から多摩川下流方向へ砂利採取線が伸びていたそうですが、3枚目の写真でこちらへ向かって来ている留置線への線路は、その名残なのかも知れませんね。

http://www.geocities.jp/takeshi_departure/tamagawa.html

katsu さんのコメント...

Kumaさんありがとうございます。
砂利採取線の画像を追加してみました。
当時線路はまだ残っていましたが、その先にトロッコがあったとは、やはり砂利線にトロッコ線がつきものですね。

お知らせ戴いたサイトは写真が鮮明でよく出来ていますね。昔あった砂利採取線のことがこれを見てよく理解できます。それにしても是政線訪問は余りにも遠い昔の出来事になってしまったものです。

H.Kuma さんのコメント...

砂利採取線の写真追加、ありがとうございます。
ちゃんと分岐部の奥の方まで足をのばして撮られていたとは、さすがですね。
草生した線路に無用となった(?)無蓋貨車の列、写真から土の匂いと夏の草いきれが感じられるようです。
このあたり、機会があったら私も遅まきながら痕跡を探索してみたいと思います。