案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年1月21日水曜日

広田尚敬 作品展「いつかまた 軽便鉄道」を観て思うこと

 2月1日まで開催中の広田尚敬 作品展「いつかまた 軽便鉄道」


私は今回の写真展で初めて広田さんの軽便鉄道の作品を観て感動に震えたが、どういう狙いで撮影すればこういう作品になるのかを知りたかった。そして、鉄道写真でこのような作風に少しでも近いものが1980年代頃までは撮ろうと思えば撮れたのに、なぜ世に広まらなかったのか、それが疑問であった。

写真展を観た数日後、私は友人が教えてくれた55年前の1970年鉄道ファン誌に投稿された広田さんの記事を何回も読ませてもらった。

55年前の広田さんの言葉より
保存機関車からは生を感じることはできないにちがいない。なぜなら、そこには生活や労働がないからである。見る者と見られる物との間に、共通の感覚や空気がないからなのである。私は鉄道写真を写すときに、鉄道の持つ生活や労働のリズムを大切にあつかい、それに私の感覚や感情をプラスして無限に広がる空間を構成する。そして、実物車両や本格的公式写真と共に、もし後世に作品を残すとしたら、単に形をとらえた列車写真ではなく、魂の入ったこのような鉄道写真こそ意義ある記録と信じているのである。

私は広田さんの写真展を観た後だったので、広田さんの言葉にあった魂が入った鉄道写真とは、写真展の作品に一貫してあった生きた鉄道写真であることが、なるほどと思った。そして鉄道の持つ生活や労働のリズムを大切にあつかって撮るのに、当時の軽便鉄道はとてもふさわしかったと思う。今も、生活や労働のリズムがあらわになる鉄道の場面は、様式美とは別なところに目を向ける必要があるかも知れない。

その後、広田さんのトークイベントを聴いたが、55年前の広田さんの言葉にあった、鉄道の持つ生活や労働のリズムを大切にあつかい無限に広がる空間を構成する話や、魂が入った生きた鉄道写真の話は、なかったのが残念であった。

後世に残す魂が入った鉄道写真、それは感情論ではないのが今回の写真展を観るとよく分かる。みなさんはどう感じただろうか。


YouTube 日本カメラ博物館公式チャンル

ノイズをカットする様式美とは正反対の、生活(洗濯もの)や労働(鉄道員)を入れた写真は、車両は被写体だが主語ではない、主語はその場の生活や労働の情景。


2 件のコメント:

みっふー さんのコメント...

広田さんの作品は小学生の時からカラーブックスの「蒸気機関車」をはじめとして50年以上見てますが、風間さんの写真にも広田さんと同じ写真を撮られた時の空気感が出ています。それが広田さんの言われる「魂」だと思います。

katsu さんのコメント...

みっふーさん
コメントありがとうございます。
私は1960年代で鉄道撮影を辞めてしまったので、70年代以降に発表された広田さんの本や作品を全く知りませんでした。もし1960年代に広田さんの魂が入った写真を知っていれば大いに影響されたと思います。私が撮って来たのはせいぜい空気感までです。
鉄道写真は様式美の写真だけでなく、社会性のある時代の記録の鉄道写真を、今からでも撮るファンが増えて欲しいものです。いや、増えているかも知れません。