案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年1月25日日曜日

浅間温泉の朝

最近、松本郊外の浅間温泉を訪ねた知り合いがいて、温泉通いの浅間線のことが想い出された。



浅間温泉を背後に朝の通勤電車が松本へ向かう.


車内ガラガラの電車が浅間温泉へ向けて戻って来た.


たいそう立派な高原駅風の浅間温泉駅.


今日は夏休み前の終業式なのかカバン持たない団塊世代の生徒たち.運動場前

昭和38(1963)年夏

車庫がある横田駅で電車に乗り込むと、電車の運転室が一段下っていて、客室からは前方がよく見えない。よくぞこんな時代ものの木造電車を残してくれたと嬉しくなった。

10分程で着いた浅間温泉はなかなか立派な終着駅で、尖った屋根は西洋館を思わす。この温泉町を少し散歩してみたいものだが、走行写真を狙っているので、温泉町を見る事もなくさっき来た線路を逆に松本方面へ歩いて行った。朝の浅間温泉を背に田畑の向うを行く通勤電車は、観光ではなく、生活の脚としてそこにあった。窓は開き、仕事へ向かう人々の顔が見える。

沿線で走行写真を撮りながら、3つ先の交換駅まで行くと、高校生を満載した電車が次々とやってきた。朝8時を過ぎたであろう、太陽はギラギラ容赦なく照りつけて来た。しばらく列車交換の風景を眺めた後、また松本へ向って電車に乗った。

2026年1月21日水曜日

広田尚敬 作品展「いつかまた 軽便鉄道」を観て思うこと

 2月1日まで開催中の広田尚敬 作品展「いつかまた 軽便鉄道」


私は今回の写真展で初めて広田さんの軽便鉄道の作品を観て感動に震えたが、どういう狙いで撮影すればこういう作品になるのかを知りたかった。そして、鉄道写真でこのような作風に少しでも近いものが1980年代頃までは撮ろうと思えば撮れたのに、なぜ世に広まらなかったのか、それが疑問であった。

写真展を観た数日後、私は友人が教えてくれた55年前の1970年鉄道ファン誌に投稿された広田さんの記事を何回も読ませてもらった。

55年前の広田さんの言葉より
保存機関車からは生を感じることはできないにちがいない。なぜなら、そこには生活や労働がないからである。見る者と見られる物との間に、共通の感覚や空気がないからなのである。私は鉄道写真を写すときに、鉄道の持つ生活や労働のリズムを大切にあつかい、それに私の感覚や感情をプラスして無限に広がる空間を構成する。そして、実物車両や本格的公式写真と共に、もし後世に作品を残すとしたら、単に形をとらえた列車写真ではなく、魂の入ったこのような鉄道写真こそ意義ある記録と信じているのである。

私は広田さんの写真展を観た後だったので、広田さんの言葉にあった魂が入った鉄道写真とは、写真展の作品に一貫してあった生きた鉄道写真であることが、なるほどと思った。そして鉄道の持つ生活や労働のリズムを大切にあつかって撮るのに、当時の軽便鉄道はとてもふさわしかったと思う。今も、生活や労働のリズムがあらわになる鉄道の場面は、様式美とは別なところに目を向ける必要があるかも知れない。

その後、広田さんのトークイベントを聴いたが、55年前の広田さんの言葉にあった、鉄道の持つ生活や労働のリズムを大切にあつかい無限に広がる空間を構成する話や、魂が入った生きた鉄道写真の話は、なかったのが残念であった。

後世に残す魂が入った鉄道写真、それは感情論ではないのが今回の写真展を観るとよく分かる。みなさんはどう感じただろうか。


YouTube 日本カメラ博物館公式チャンル

ノイズをカットする様式美とは正反対の、生活(洗濯もの)や労働(鉄道員)を入れた写真は、車両は被写体だが主語ではない、主語はその場の生活や労働の情景。


2026年1月18日日曜日

トークイベント「広田尚敬 鉄道写真を語る」

 2026.1.17 JCIIで開催された主題のトークイベントを聴いて考えさせられることが様々あり、ブログに纏めてみました。



申し込みは100名で締め切られた。


広田さんのトーク


5万円写真集トークで編集長と広田さんと表紙のデザイナー


私は広田さんの作品は国鉄SL写真と名作「昭和34年2月北海道」しか知りませんでした。今回の軽便写真展の一部は過去に鉄道誌などに紹介されたようですが知る由もありませんでした。FB友のUsuiさんが所有していた1970年鉄道ファン誌にあった広田さんのどう撮るかの極意は、ファンにほとんど注目されていなかったようで、もしこの極意が広まっていれば1970年代以降の鉄道写真の撮り方が変わっていたと推測します。

昨日のトークショウでは、小さな軽便でこそ発揮できるその極意(生活感と労働を撮る)を語ることはなかった。ただ、乗客や鉄道員を撮る写真家の技は話してくれました。そこが写真家だからできて素人にはできない技だけど、せめて何を狙い目に撮るかの極意さえ知っていれば、80年代くらい迄は鉄道をこれで撮れたと思います。今、気がついても手遅れですね。

広田さんが言っていたのは、撮り方は自由で他を否定することはなく、自分の撮り方で自由に撮りなさいでした。もしファンの様々な撮り方の作品を並べたみたら、少しでも広田さんのように撮った方が断然評価が高いでしょう。広田さんは広田写真集をマネして下さいではなく、参考にして下さいと言っていた(マネできる筈はないので)。 

今回の軽便写真の撮り方が鉄道写真の全てではないのは当然で、様々な撮り方がある。

2026年1月9日金曜日

九十九里鉄道の魅力

九十九里鉄道を弊ブログで紹介したのはブログをスタートした2010年の年末でした。
高校時代の友人(飯島巌氏)が遺した紙焼きプリントを再度アップしてみます。

廃止となった1961年2月頃、私は高校生で九十九里の廃止は知っていたがカメラを持ってなく撮りに行くことが叶わなかった。まさか同じ高校同期に撮りに行ったファンがいることも知らずに。私にとって軽便の頂点だった九十九里鉄道を見逃した悔しさが、1962年春から始めた地方私鉄めぐりの動機となった。撮っておかないと後になって後悔する、そんな想いで危なそうな地方私鉄路線を次々と追い続けた。観光旅行と違って楽しみどころか空腹と睡眠不足の苦痛ばかり。後になって後悔しないで撮った写真を楽しむために。
魅力の三大軽便で九十九里、草軽は間に合わず、間に合ったのは沼尻だけだった。

九十九里鉄道の沿線風景は変化なさそうで、魅力は車両にあった。だれでもが車両中心に撮り、走行写真を撮る人もいた。当時(1960年代の半ば頃)、九十九里鉄道の駅や車内の日常風景の魅力を撮った写真を、私は書物や先輩たちの成果で見たことがなく、車両写真と良いポイントで撮られた走行写真で十分満足だった。しかし九十九里鉄道の魅力はそれだけではなかった。


小さな単端が3両も牽いてノソノソ走る。  家徳 1961年2月

単端に牽かれるケワ + ハニフ + ケハフ。ボギー貨車でどんな荷物を運んでいたのだろうか。家徳


2026年1月5日月曜日

軽便鉄道写真展

今日からスタートした写真展へ行ってきました。
広田尚敬 作品展「いつかまた 軽便鉄道」 草軽、沼尻、九十九里
日本カメラ博物館JCIIフォトサロンで2月1日まで開催です。
写真展案内

1960年代に消えた軽便の頂点3路線、これを撮られた鉄道写真の頂点広田さんの写真展を楽しみにしていました。鉄道写真というより写真家が鉄道を撮るとこうなる、という作品ばかり。写真展の写真はほぼ全て駅や車内の人々を撮った生活感溢れる作品で、まるで映画のスチル写真のようでした。

当時の鉄道写真で駅や車内に溢れていたこんな魅力を撮れる人はまずいなかったと思います。駅や車内の魅力に気付き、人(特に個人)を撮れる術があるのが写真家。
そして、JCII写真展で毎度思うのがモノクロプリントの素晴らしさ。モノクロ写真ってこんなに美しいのか! を感じとれます。あと何回かJCIIへ行くつもりです。

 


今回の生活感ある写真は、軽便鉄道の人気3路線で撮られたところに大きな魅力があった。ただのローカル鉄道ではなく、ほのぼのとした軽便の3路線が大きなポイントになっていると思います。


2026年1月1日木曜日

2026 新年

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。



川越線 川越駅 1966年




万両