案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年10月19日日曜日

広島駅前

鳥栖から大阪行夜行列車で熟睡し、広島で朝を迎えたのが1967年の春。
58年後の今、広島駅前は広電のルート新設変更が8月に開通し大きく変わった。駅前のこの在来ルートは、線路の撤去が進められているようだ。

広島駅前 1967.03.07




広島駅前.「こくてつバス」の看板が見える.

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

up有難うございます。

753の隣は旧塗装の国鉄バスですね。駅舎の東側に国鉄バス乗り場がありました。呉の親戚を訪ねるときは専ら国鉄バスで、呉線には乗せて貰えませんでした。煤煙を避けたためだそうですが、僕は毎回不満タラタラでした。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。広島駅前の「国鉄バスのりば」らしきが写った写真をアップしてみました。朝一からの広電撮影を終えて、呉に向かう時です。

,,,モハメイドペーパ- さんのコメント...

1年後の3月、同じ場所で撮影しています。元大阪市電の2511は市電の台車のままで、宮島線を60km/hくらいで走るとかなり揺れました。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
同じ1960年代に、お互い同じようなところを巡っていますね。私も鉄道線の途中まで乗ってきました。
広島駅前から連接車が鉄道線に乗り入れて宮島へ飛ばす。このインターアーバン路線が今日の広電の繁栄に繋がったと思います。