1964(昭和39)年に廃止された、国鉄日光駅前のループ線。軌道線ならではの急カーブで駅前をぐるりと回るその線路は、楽しさがありとても気になる存在でした。青蛙、田辺両氏による当時の写真と、残されたループ線図とを照らし合わせて、その姿をたどってたのがみたのが2015年6月22日の投稿「日光軌道線 国鉄駅前のループ線」でした。
ちょうど東京オリンピックが開かれたあの年、観光都市・日光の表玄関に古びた路面電車がたむろしている姿は「みっともない」とされ、それが廃止の理由の一つになったとも言われています。しかし、今だったら・・・
1964年7月 撮影:田辺氏
真夏の朝、日光駅前に立つと、まず目に入るのが「日光ステーションホテル」。その朝のバイキングは、まるでここはどこかヨーロッパの観光都市にいるような錯覚に陥る。客のほとんどは外国人観光客。彼らの多くは、やがて駅前から発車する「世界遺産めぐりバス」に乗っていくのだろう。そのバスも、すぐ先の東武日光駅前で満杯になる。インバウンド観光の中心は、やはり日光東照宮や輪王寺など、世界遺産群をめぐる定番コースなのだろう。
もしこのJR駅前、そして東武駅前に、軽やかなライトレールが巡回していたら・・・駅と観光拠点を静かにつなぐ新たな足として。混雑するバス路線の代わりに、静かに街をなぞるように走るライトレール。観光の利便性も大きく変わるはずだ。
一方、JR日光駅前から出る「霧降高原行き」のバスは、乗客が数人ほど。町を抜け、静かな高原へと分け入り霧降の滝で降りると、そこにはインバウンドの喧噪はまるでない。風の音とウグイスの声、霧降はいまもなお、日光の“日本的な静けさ”を感じられる場所だった。
世界遺産が人を呼び、静けさが人を癒やす。そんな対照的な二つの顔を、夏の二日間で見せてくれた日光だった。
2 件のコメント:
路面電車=時代遅れ、車の邪魔(アホらしい!)、そんなのが走る町はカッコ悪い、確かにそういう気分に覆われた時代でしたね、あの頃に踏ん張っていたら残せた電車は各地にありましたね。
Cedarさん
そんな時代がありました。山陽地区~九州地区の路面も全滅かと思っていたら山陽、呉、西鉄、別府を除きしっかり残されて、今や広島や九州地区では益々発展を続けていますね。金沢、京都、日光など観光地では進化すればライトレールが活躍できたと思われます。
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