案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年7月23日火曜日

島原鉄道

300年の歴史がある「島原手延べ素麺」が生まれた土地は島原半島南部の西有家町須川。

古い線路図で見ると2008年に島原鉄道の部分廃線で消えた島原外港(現:島原港)~加津佐間に西有家の駅があった。その先が島原の乱の原城遺構がある南有馬。有明海の向こうは天草。

世界遺産の南島原を海沿いに走っていた島原鉄道の廃線区間。どんなに素晴らしい南島原の鉄道風景だったことだろうか。


島原手延べ素麺.南島原市西有家町


昭和27年 鉄道線路図(日本国有鉄道営業局)


撮影:1967.3.3
島原の街. 


島原城から有明海を望む.


島原鉄道 島原駅.


島原外港を発車した列車は加津佐へと向かう.

当時は島原外港から三角港に渡り、三角から国鉄三角線で熊本へ出るコースだった.

2 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

このほぼ1年後、大学の卒業旅行で島鉄を訪れ、島原(車庫のある駅)で同様にユニを連結した編成を撮っています。島原外港から船で三角に出ました。その先、加津佐までは1990年代に仕事で乗っています。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
島原鉄道で廃止された島原外港~加津佐間は最も島原らしい風情溢れる
沿線だったと思います。素晴らしい写真が撮れたことでしょう。