案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年8月24日水曜日

西武山口線 おとぎ電車

 私が西武山口線のおとぎ電車を撮ったのはこのサニー車中から撮った1枚だけであった。
1968年に安比奈の鉄連コッペルの帰りに撮った1枚。
おとぎ電車は遊園地施設程度にしか考えてなく私の撮影対象になっていなかった。
その後コッペル蒸機が井笠の客車を牽引する本格的な軽便が山口線で活躍し大人気となった。その時も運転していたおとぎ電車はだれも関心向かない影の存在のように思えた。


おとぎ電車(バッテリー式ロコ+1形客車) 1968.7.14

頚城2号機が活躍していた頃。1972.8.13
背後にバッテリー式ロコと21形客車の一部が見え、そこに客車の台車が見える。 

全てが消えてしまった今、懐かしく思えるのは「おとぎ電車に乗ってユネスコ村へ行く」小学校低学年時代の遠足である。それが年末にナローの模型で発売されるというので「おとぎ電車」の遠足風景を集めてみた。

モノクロ写真は道村清様に使用許可戴きました。
   遠足風景はきっと同伴父兄が撮影したのでしょう。
カラー写真は私の兄が撮影したものです。


蒸気機関車・おとぎ電車 さよなら記念ウィーク」の遊園地前駅 1984年5月
1984年5月14日営業停止。


「さよなら おとぎ電車」のヘッドマークをつけた列車。遊園地前駅 1984年5月


楽しそうな子供達を満載した さよなら「おとぎ電車」  1984年5月
遠足で乗ったのはこの開放型客車であった。


遊園地前駅で列車を待つ遠足の子供たち。昭和30年代初めか?

バッテリー式ロコ。


あの頃の低学年遠足には多くの付き添い父兄が参加していた。


ユネスコ村に到着。
ユネスコ村のオランダ風車の前で遠足の集合写真を撮るのがスタンダードであった。

4 件のコメント:

伊豆之国 さんのコメント...

「西武園のお伽列車」に乗ったのは、過去に2度。最初はもう半世紀以上も昔、小学生だったころ。高田馬場から、おそらく直通の準急で「多摩湖」まで乗り、歩いて西武園の遊園地に行ったこと、それから「お伽列車」に乗って「ユネスコ村」に行き、「狭山湖」から帰りの電車に乗ったこと。遊園地のほうは残念なことにほとんど記憶が消えているのですが、「ユネスコ村」には世界各地の民家を模した「小屋」が立ち並び、キャンプや合宿の宿泊施設としても使われているようでした。そのお伽が列車「西武山口線」というれっきとした地方鉄道であったこと、機関車がディーゼルでなくてバッテリー式ELだと知ったのは、だいぶ後になってからでした。
二度目、すなわち最後の乗車経験は、まさに「新交通システム」に生まれ変わるために廃線が決まった頃。当時はドームがなく青空の下でプレーしていた西武球場でのライオンズのデーゲーム見物の帰り。試合中も外野席から「お伽列車」のSLが気になり、試合そっちのけでSL見物をしていたことを思い出します。試合は惜しくも西武の敗戦でしたが、「ユネスコ村に無料で入れます」とアナウンスがあり、一通り見物した後、SL列車に乗ったことを覚えています。
ユネスコ村の中の「小屋」は、既にだいぶ年季が入っていたようですがまだ健在でした。その後、ユネスコ村は「恐竜公園」に生まれ変わったようでしたが、長続きせず結局閉園になったようでした。
「お伽列車」で活躍していたSLは新潟と台湾に、木造客車は井笠に、それぞれ札帰りして保存されたようですが、会社が「倒産」した井笠の客車が心配です…。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
私にとっておとぎ電車は車窓風景の微かな記憶しかありません。
悲しいのは当時の写真と言えば型に嵌った集合写真しかなく、
大切な思い出が消えてしまうことです。

やはり写真は大事で全員集合写真や車両写真ではなく今回の遠足のスナップ写真を見ると
おとぎ電車はこんなだったんですね。
今年発売される1/80ナロー模型を買って思い出してみようと思います。

井笠の木造客車4両はレストランに使われた後、復元され1両が活躍していますね。
また他の場所でも復元が進められているようで大変立派なところで展示されると思います。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。私は西武鉄道山口線は84年に廃止の記事が鉄道趣味の雑誌に出てくるまで知りませんでした。今と違って情報の入手が雑誌類にしか頼れない時代だったからやむを得ないと思います。
ちょうどその頃から軽便鉄道に興味が傾いていたし、蒸気機関車は大井川鉄道と山口線しかないと思っていたから、井笠鉄道の蒸気機関車と車両がまだ動いていたなんて地団駄を踏んで悔しがりました。

いまだにしつこく改装するのですが、下津井電鉄も下工弁慶号を復活させても本線営業は出来なかったのだから、この車両を借り受けて本線営業に付かせれば観光客を引っ張ることが出来たんじゃないかと思っています。補機はモハ1001ですね。
でも下工弁慶が整備すれば火が入る状態になって、今は屋内展示になっているのだからそれも良かったと思います。少し話がずれてすみません。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
こんにちは。
井笠や頸城のコッペルは随分長い間走っていたようです。
私はあまり撮りに行かず乗車もしていませんで残念なことをしました。

幸い私は下津井の電車庫で下工弁慶が煙吐いて動いているのを撮ることができました。
その後、東京で開催された鉄道博の展示を見た時は下津井で見た事をすっかり忘れていました。
各地に転々としたミニ蒸機だったのですね。