案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年1月19日水曜日

磐梯山麓のドロ軌道。沼尻鉄道

1月20日発売のTMS2月号。
TMS創刊75年記念の連載「私とTMS」第5回は河田耕一大先輩で、73年間1,000冊近いTMSを読み続けてきた想いが6ページに亘り紹介されました。

さて、地方私鉄 失われた情景 第32回は「磐梯山麓のドロ軌道」日本硫黄沼尻鉄道です。
  川桁を発車した列車は白津の集落を抜けると北上を続けるが、内野の先で北西に進路を変えると磐梯山に向かって走る区間がある。それがこの路線図でこの区間は路側軌道でもあった。
撮影:1964.1.3




2 件のコメント:

かたおか さんのコメント...

1人で遠出できるようになるのが数年遅く、沼尻に間に合わなかった世代としては、ものすごく興味があります。併用軌道になっているのは、白津の集落と、この内野のところと、酢川野の先、全部で3か所だったのでしょうか? 他にもあったのかしら? 

katsu さんのコメント...

かたおかさん
この併用軌道(路側軌道)は確かその3か所だけだったと思います。

今回の内野の先の併用軌道は全く偶然に出会ったところで何も意識していませんでした。
訪問二日目の午前中に内野駅に行った時に何故あの場所へ行ったのか?
磐梯山と線路の配置が丁度良かったからだと思います。

60年後に改めて地図を描いてみるとあそこだけ進路が磐梯山に向かっていたんですね。
そしてそこを撮ったネガ一コマの発見、60年後にこんな偶然が続きました。
別の媒体でドロ軌道の続編もやろうと思っています。