案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年9月24日日曜日

再掲 草軽電鉄の現役時代

2013年7月に掲載した鉄研OBのM先輩が撮った草軽電鉄の現役時代を画像拡大で再掲します。
全線営業していた1958年と、吾妻川橋梁流出により上州三原で分断後の1960年と1961年に訪問し撮影されたもので、改めて壮大な自然と生活感溢れる草軽のスケールの大きさを感じてきます。

    撮影:鉄研OBのM先輩
上州三原駅. 1961年
この先の吾妻川手前で線路は行止まりとなっている。1959(昭和34)年の台風により吾妻川橋梁流出のためこの駅で分断された。新軽井沢~嬬恋間が先に廃線となった後、残された上州三原~草津温泉間は写真の翌年春(1962年2月)に廃線となった。

ホハ30形の車風景 1958年
草軽に多かった片側クロスシート。顔を近づけて会話ができるのが良いが、狭い車内をロングシートの客の膝を避けながら歩くのは大変であったろう。車体の内幅は1950mm。

草津温泉の2駅手前の草津前口駅で硫黄の積込みをしている。ここから新軽井沢まで運び国鉄貨車に積み替えていた。1958年

国境平
この線路配置は、全ての駅の構内図と照合すると国境平から二度上方面を見た線路配置と一致する。


無蓋車とホハ30を牽く草軽の代表的な編成が新軽井沢へ向かう。 嬬恋?

鶴溜


長日向を発車し草津方面へ向かう。

吾妻川橋梁を渡り新軽井沢へ向かう。

2 件のコメント:

鉄道青年 さんのコメント...

僭越ではありますが…
7枚目の写真は、右側通行の長日向駅下り方です。
8枚目の写真は初めて拝見させていただきました。三原の鉄橋は、道路橋に比べてかなり斜めに渡河していたことがわかります。たいへん貴重な写真だと思います。

katsu さんのコメント...

鉄道青年さん
7枚目の写真の駅はどうしても分かりませんでした。
ありがとうございます、長日向駅の下り方面でしたか。
早速、追記させてもらいます。