案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年5月31日水曜日

鉾田線 元東横のキハ

関東鉄道鉾田線の元東横キハ42202のカラーリングについてコメント欄にお問合せがありました。この時代のキハ42201と2は一体どんなカラーリングだったのでしょうか。びわこ型キハ201のブルーは記憶があるのですが、何故か元東横キハの淡いトーンが記憶に残っていません。東横時代のカラーのままだったのか、あるいは鉾田線カラーに塗り替えたのか?
それにしても今の時代になって見てもほんとう美しい気動車であった。

キハ 42201  石岡 1966.08.28

キハ42202 石岡

以下はモノクロ画像のカラー画像化です。
ツートンカラーの下側は赤ではなく水色のよう.
水色に見えた下側、正解は赤でした。



桃浦を行くキハ201+キハ42202.車体色は光線によっていろいろ.

キハ42202とは異なるトーンで濃いブルー(紺色)の記憶があるキハ201 1966.08.28
ブルーに見えた下側はこれも赤だったかも?
  

4 件のコメント:

狂電関人 さんのコメント...

katsuさま

ご無沙汰してます。
昭和の技術者達の飽くなき流線型への挑戦、素晴らしいですよね!?
西鉄の旧600形(1300)や200形、それに500など思い出しても武者震いします。。。

katsu さんのコメント...

狂電関人 さん
ご無沙汰しています。
昭和の技術者による流線型は今見ても素晴らしいですね。
設計者がデザインまでやったのでしょう。
最近のデザイナーによる電車のお顔は何であんなゴテゴテするのでしょうか。
昔の造形のようにすっきりしたお顔にするのも良いのではと思います。
50年60年経っても古さを感じさせないデザインがいいですね。

esehoku さんのコメント...

昭和48年8月号の鉄道ファン誌では、'59年頃はクリームと青のツートン、'61年頃にクリームと朱色のツートンで正面は金太郎の腹掛け塗り、'73年当時でクリーム(窓上)と朱色(腰回り)になっているのが確認できますよ。
当時の鉄道ファン誌は、神保町の古書店辺りで容易に入手できるかと思います。

katsu さんのコメント...

esehoku さん情報ありがとうこざいました。ブログを見た方から青の時代、赤(正面金太郎)の時代のカラー写真が掲載された鉄道ファン誌の記事をメールで情報戴いていました。ピクトリアルのアーカイブ「私鉄車両めぐり」表紙にも赤の時代で出ていました。カラーリングが様々変化した気動車だったのですね。