案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年11月29日火曜日

「瀬戸内海の呉」ふたたび

過去にリニューアルした「瀬戸内海の呉」ですが、話題のアニメ映画「この世界の片隅に」を観て戦後の呉市電の風景を再びアップしたくなりました。

アニメの舞台となったのは戦時中の呉と広島で、戦後22年が過ぎた昭和42年の市電が走る呉の街、そこにはまだ戦後の暗さを感じさせる風景があった。そして戦時中の悲しい過去があった今の呉を見てみたい。

話題のアニメ映画 


市電川原石← 呉線呉駅  (山並み)  呉線安芸阿賀駅 →市電長浜  現在のgoogle航空写真


長浜行の電車 呉駅前 右手が呉駅   1967.03.07

 呉駅前 左手が呉駅 背後の山並みは鉢巻山.


 川原石行の電車 右手が呉駅で海側、背後の山並みは休山.

殺伐とした阿賀駅前.

阿賀駅前を長浜へ向かう電車。 車庫に向かう分岐線がある。

阿賀駅前 右手に市電車庫がある.

呉線安芸阿賀の駅前通りは子供達の遊び場.

街に戦後の暗さが漂っていたが、この頃、呉線で活躍していた蒸機が美しかった.
呉駅のC59

呉駅のC62鈍行列車

2016年11月25日金曜日

鹿児島交通 何故訪問しなかったのか

田辺さんが訪問した2年前、私が鹿児島交通を訪問しようと国鉄指宿線に乗って西鹿児島を出発したのは1967(昭和42)年3月の夕方であった。その日は指宿温泉に泊り翌日に枕崎に出て、そこから鹿児島交通の加世田を訪問するつもりだった。

指宿線の気動車が指宿駅に到着するとあたりは薄暗くなり不安が的中、いつも泊まるような安い駅前旅館などこの有名温泉地にある筈はなし、指宿温泉の旅館やホテルに泊まるくらいならもっとフィルムが買える、ということでまた西鹿児島へ引き返し、博多行き夜行列車のボックスシートに寝て翌朝博多から長崎に向かった。
もう一度夜行列車で南下し伊集院から鹿児島交通を訪問するのを断念してしまったのが悔やまれる。

鹿児島駅前 1967.03.01

市電通りから一歩入った鹿児島の裏通り

指宿線のC12貨物列車

夕闇迫る指宿駅 立派な温泉地で駅前安宿などあろう筈はなし.

唯一、私が撮った鹿児島交通の1枚は夜の西鹿児島で真っ暗であった。

博多で長崎行き夜行に乗り換え夜が明ける頃.