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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年7月22日金曜日

新潟交通 昭和の街並み

RMライブラリー204巻 寺田裕一さんの新潟交通電車線(下)が発売されました。
そこで県庁前-東関屋の街並みカラーを再度掲載してみます。

県庁前-東関屋   1968.08.17

県庁前-東関屋 1968.08.17

 県庁前-東関屋 1968.08.17

元小田急のクハが道路上を行く.県庁前-東関屋 1968.08.17

 雨の県庁前 モハ16(元国電旧伊那)+クハ36(初代モハ16) 1968.08.16 

クハ37(元国鉄41000形) 東関谷

東関谷駅の風景 形式モハ17(元東武デハ2形) 1968.08.17

 モワ51 東関谷

 クハ46 元小田急 東関谷.元はつまらぬ小田急デハ1408でも新潟交通仕様になっているところが魅力的です。

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

新潟交通、いいですね。
路面区間を行く田舎くさいカラーを思い出しました。

ねこあたま さんのコメント...

広電のようなやり方をしたうえで、新潟駅まで延長できていたなら今でも残っていたでしょうか?

katsu さんのコメント...

Cedarさん
新潟交通のカラーは素晴らしいですね。
昭和40年代の地方私鉄は赤系の変なカラーリングが多くなってきたけど
新潟交通はしっかりあの昭和30年代のカラーを貫き見事でした。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
もし新潟駅まで来ていたらどうなっていたのでしょうか。
路面電車が高床式電車を一掃して専用軌道を活躍する?
そんな光景になっていたら楽しいのですが、
きっと無理だったでしょう。

置き猫 さんのコメント...

私も無理だと思います。船運の代替交通なので線路が川沿いに曲がりくねり速達性が低い。
沿線人口も少なく中ノ口川の対岸には線形の良い国道8号線。
新潟交通線を訪ねる事ができたのは最末期の全廃直前ですけど、この時点で既に月潟から
燕までの代替バスが極端に少なくなっていて乗り継ぎに苦労しました。
現在はさらに減り月潟以北の路線も再編されているとか。

katsu さんのコメント...

置き猫さん
よくこんな沿線で長く存続できたものです。
不思議に思います。