案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年4月12日火曜日

京浜急行デハ230形

あの京急デハ230形の3連を昭和38年に杉田で撮っていたのを思い出しました。
デハ230にクハ140を組み込んだツートンカラー(赤と黄)の疾走に憧れたのはこの写真の10年以上昔の幼児の頃でした。横須賀の親戚の家に泊まり高台から何回も眺めたその疾走は、O番模型で合葉兄弟のDC2線式レールの電車がぶっ飛ばす光景の思い出と重なります。しかしこの写真を撮った昭和38年は既に憧れは軽便に移りデハ230形に憧れたことなどすっかり忘れていた時でした。

デハ230形 杉田 1963.05.03

デハ230形 1963.05.03
コクリコ坂の舞台と同じ東京オリンピック前年昭和38年の横浜.


昭和38年 杉田の民家  1963.05.03

以下は先日の川崎市電でアップした田辺さん撮影の大師線デハ230形
デハ230形の更新前後の比較. 京急川崎 1963.12.12
子供の頃に憧れたのは右側更新前のツートンカラー(赤と黄)の230形であった.


 デハ277
デハ268  関水金属に保存されている268はこの姿ではない.

2016年4月6日水曜日

昭和38年東京の自動車(都電杉並線3)

昭和38年青梅街道の街並みの写真を見ると、あの「三丁目の夕日」(昭和34年想定)のような東京のイメージがまだ残されています。荷満載のトラック、レトロなクルマ、ボンネットバス、都電、商店の建物と看板、遠くまで広々とした空、背の低い立木など。こんな東京の街並みは昭和40年に入って刻々と変貌して行った。

都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫
高円寺陸橋から見た街並み.

鍋谷横丁
鍋屋横町の子供たち
さよなら杉並線にかけつけた人々. 荻窪駅

2016年4月3日日曜日

昭和38年東京の自動車(都電杉並線2)


都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫
14系統杉並線新宿駅(新宿大ガード)

東京にこんなクルマが走っていた時代.

小田急デパートの前を左へ向かうと杉並線新宿駅
手前の古い建物は移転した精華学園女子高では?

都電とともに愉快なクルマが走っていた東京. 柏木一丁目-成子坂下

青梅街道らしい風景.  本町5丁目

成子坂下 

2016年4月2日土曜日

昭和38年東京の自動車(都電杉並線1)

都電の写真で面白いのは昭和30年代の東京の自動車。
昭和37~38年あたりまでは戦後の自動車創生期の面影を残していて、その後あっという間に変わってしまった自動車。この頃の都電の写真で私は電車の型式などはどうでもよく、当時の自動車や街並みが面白くて興味深々です。鉄道ファンの誰もが自動車を排除して都電を撮ったものですが田辺さんはよくここまで自動車を入れたものです。田辺さんが撮った昭和38年の杉並線最終日の東京の自動車が愉快です。

都電杉並線 成子坂下 1963.11.30 撮影:田辺多知夫