案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年5月25日月曜日

日の丸自動車・法勝寺電鉄 米子駅

1967年5月に消えた素晴らしき田舎電車、日の丸自動車・法勝寺電鉄。
1962年夏に訪問した時の米子駅風景が「米子の古典木造電車」でした。
その1年後、同じ場所を撮影した田辺さんの写真を加えその後の車両の変化などを比較してみました。

前回の記事より
1962年の夏、国鉄時刻表に表示された「日の丸自動車・法勝寺電鉄」を頼りに山陰本線米子駅に降りる。米子駅の地下道をくぐり反対側に出ると、「日の丸自動車㈱電車部米子市駅」の看板を掲げた駅があり、木造2軸客車を牽いたダブルルーフの木造電車が乗客を待っていた。
荷物をベンチに放り投げ、懸命に撮ったのがこの朝の米子市駅の光景。大正時代の車両がゴロゴロしている光景に、前夜広島から夜行でやって来た朝の眠気も吹っ飛んだひと時であった。

眩しい朝の米子駅風景   1962.07.31

朝の米子市駅で発車を待つ素晴らしい木造電車と木造2軸客車.デハ203+フ51  

朝日を浴びた木造電車デハ203 (元池上電鉄 日車大正11年製)
明るいブルーと白に近いクリームのそれはそれは素晴らしいツートンカラーであった.

車庫で改装中のデハ205 (元名古屋鉄道103 日車大正11年製)  1962.07.31
細身のデハ203に比べ車幅が広く大柄に見える


以下は全て1年後の米子駅風景   撮影:田辺多知夫氏 1963.07.15

あの時車庫で改装中だったデハ205はその後鋼体化されこんな姿になっていた。のっぺらした顔になり、派手なカラーリングに変更されたようで203に比べ益々デカ顔に見える。その後さらに不細工になってしまったが最後まで主力で活躍したようだ。


素晴らしいデハ203はカラーリングを変更して廃線まであの時の姿でいたようだ.

デハ207(元目蒲電鉄 汽車会社大正12年製)

ラッシュ時に使われたのか古典客車フ55、フ52、フ53、フ51が並ぶ米子駅


蒸機列車(C57)が活躍していた山陰本線米子駅. 1963.07.15 

浜田機関区に集結したC54が全廃の最期を迎えていた1963年.

4 件のコメント:

夢鉄道 さんのコメント...

いつも興味深く拝見させていただいてます.今回登場は山陰の地方の足として活躍していた電車なんですね.
私自身は全く知らない鉄道線なんですが,ここに登場してくる木造電車は田舎電車好きにとってワクワクするような車両たちですね.
貴重なお写真をありがとうございました。

katsu さんのコメント...

夢鉄道さん
田舎電車をいろいろ模型にされて楽しそうですね。

実物の田舎電車の中で法勝寺鉄道の車両は格別の存在と思います。
誰もが惚れ惚れする電車ではないでしょうか。
遠い昔の大正時代によくこんな魅力的な電車が設計できたと思います。
もうこういった魅力ある車両は生まれないので、模型で楽しむのがいいですね。

宵闇 さんのコメント...

小学校時代に京浜急行2000系デビュー特集の鉄道ファンの記事で法勝寺電車を知り、米子市にこんな個性的な電車が走っていたんだなあと思ったのを思い出します。
特に東横モハ1には感激しました。

デハ203がきれいに復元されたようですね。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
法勝寺電鉄の車両の面白さは格別です。
この種の鉄道遺産を揃えた鉄道博物館でもあると楽しいのですが。
現地には203や超古典客車が保存されているようですね。
写真で見る限り保存者203のカラーは私が見たのと少し違うような気がします。
東横モハ1の207、こんな電車が模型製品化されているのには驚きました。
1/87ではなく1/80 13mmGであれば素晴らしいのですが。