案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年2月4日月曜日

玉電風景 道玄坂

いよいよ玉電風景も道玄坂の専用線軌道に入ると渋谷へと下ります。
中里あたりからスタートした現役時代の懐かしい玉電風景を現在の跡地風景といろいろ対比させてみると、皆さんから様々な想いのコメントを頂戴しました。跡地風景の良し悪しは別として更に道玄坂を渋谷へ下り始めるあたりまで今昔比較を進めてみました。

道玄坂商店街の間を玉電は右へ曲がる.上通り-渋谷 1969.04.22
道玄坂交番前交叉点の手前. 2013年1月

左に渋谷へ下る道玄坂の道路、正面をカーブすると渋谷へ下る道玄坂の専用軌道へ.
道玄坂交番前交叉点


映画「津軽絶唱」の看板の横を専用軌道に入る.
渋谷マークシティへの取り付け道路あたりが玉電軌道だったのでしょう.
玉電軌道跡と地下鉄銀座線の上にマークシティのビルと渋谷エクセルホテル東京が建っている.

1960年代らしい道玄坂商店街の風景の中に電車が顔を出す.
道玄坂交番前交叉点.玉電の軌道はこの先をカーブしていた.

渋谷駅へ下る専用軌道. 1969.04.22
この写真の2年前に商号変更で東横百貨店は東急百貨店東横店となり、玉電の渋谷駅の終端は東横店西館の中に入っていた。写真に見える東横店南館はまだ建設中で翌1970年に完成している。そんな東急東横店が電車の背後に見える.

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