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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年2月1日金曜日

玉電風景 大橋の今と昔

大橋と言えばあの有名な大橋ジャンクション。大橋車庫の跡地は大橋ジャクションとなり地図を書いたところで車庫跡地の今昔は複雑で、現在の大橋風景で昔の車庫入出庫線と電停大橋があったところを推定してみました。

のどかな大橋車庫風景 1962.12.07

 電停大橋.渋谷方面に今回目印となった木立ちと陸橋が見える.1969.04.22
右へ入出庫線が車庫へ向かう.
246渋谷方面を見る.青の道路行先表示がある陸橋からの距離で、
この辺りに電停大橋があったと推定される.右手が大橋ジャンクション.2013年1月
246渋谷方面を見る.バス停大橋
大橋ジャンクション.昔、精肉店や車庫の入出庫線があったのはこの辺りでしょう.
車庫跡地には巨大なインターチェンジが建ち、脇に高層マンションがそびえ建つ.
すっかり陽が当らない大通りとなってしまった.

大橋-上通り.木立の脇の陸橋から渋谷方面を見る.遠くに見える大坂上の陸橋まで坂を登る.1969.04.22
木立の脇の陸橋から246渋谷方面を見る. 2013年1月

大橋ジャクション Google Earth

14 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

Katsuさん、こんにちは。
大橋ジャンクションが大橋車庫の跡地とは知りませんでした。
風景激変ですね。
246は高速できて一番景観が悪化した道路のような気がします。
歩道さえ歩きたくなくなりました。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん、こんにちは。
246の高架下の街は陽が差込まず寒々としていました。
確かに暗い歩道は歩きたくないですね。
あの陽がサンサンと照っていた玉川通りは遠い昔のことでした。
道玄坂あたりの高架がない通りは木が大きくなりホッとしたものです。

Tosi さんのコメント...

精肉店と薬局のあいだに位置していた大橋車庫の入出庫線のお写真は、資料的に貴重というばかりでなく、望ましい公共交通システムや都市計画を考えるうえでも多くの示唆を含んでいるような気がします。「246は高速できて一番景観が悪化した道路」というchitetsu様のご意見に同意します。自動車産業は「自動運転自動車」のようなものを開発してでも高齢化するユーザーを自動車に縛りつけようと望んでいるようにみえますが、先進諸国とくに日本では、自動車市場の激烈な収縮は今後避けられなくなるのではないでしょうか。自動車のための道路も車線ももはやこれ以上必要なく、将来的にはむしろ削減を検討するべきなのだと思います。日本の新政権による従来型公共事業と道路特定財源の事実上の復活はこの意味でも本当に時代錯誤的です。欧州で現在、ドイツが要求する緊縮政策一辺倒で、景気後退にもかかわらず積極的財政政策はできなくなっていますが、持続可能で環境に配慮する経済への移行に必要な公共インフラの整備を優遇するという大きな方向付けは存在しており、そこではインテリジェント送電網のような再生可能エネルギー関連と同時に、交通システムとしてはトラム網の拡充がかならず優先的に考えられるものです。欧州や富山の選択こそが望ましい未来への展望を可能にするのではないでしょうか。

伊豆之国 さんのコメント...

「新玉川線」の駅の中では、三軒茶屋を初め、駒澤大学など他の駅にはしばしば降りたことがあって、降りるたびに駅周辺から昔の面影が消えて行く姿を見てきたのに対し、池尻大橋だけは久しく降りたことがなく、私の頭の中では道玄坂から三軒茶屋の手前までは30年余り昔のまま時が止まっていましたが、思わぬことでその区間を歩くことになったのでした。一昨年3月の大震災。電車は全てストップ、都心近くにある職場では泊りがけを選んだ人も多かった中で、私は運転再開を祈って、何とかたどり着けるところまでひたすら歩くことにしたのでした。渋谷までたどり着いて小休止の後、井の頭線が運転再開との情報が入り、「東急もまもなく再開」と信じて246を玉川方面へ。沿道風景の余りの変貌ぶりにまさに「浦島太郎」。大橋車庫とその周辺は跡形もなくなっていました…。6枚目の写真の右上に見えるホテル「石亭」は、現在も伊豆など各地で高級料亭旅館を営業しているチェーン店でしたが、こちらは昭和末期に既に店じまいしていたようです。今思えば、渋谷駅から少々遠かったことと合わせて、首都高の高架橋で「絶景」が台無しになったのも店じまいの要因になったのではないかと…。その横には合掌造りの郷土料理店「ふるさと」があり、付近の格好のランドマークになっていたのですが、こちらも一昔前までに消えたようです(これは私が常連になっている地理ネタサイト(某巨大チャンネルではありません)から知りました)。わずかに記憶を呼び覚ましたのは、昭和女子大や池尻の「古畑病院」などが健在だったことでしょうか。結局、もう少しで日付が変わる頃にって、三軒茶屋までたどり着いたところで、電車が動き出して無事帰宅できたのでした。

YamaChan さんのコメント...

大橋電停の下り方正面には、乗務員の二階建詰め所がありましたね。
乗務員交代の際、運転手はマスターキーと運行ダイヤ、車掌は小さなカバンを持ってその詰め所に出入りいていました。
電車の入出庫の際の運転は、作業着を着た係員が専任で行っていました。

また電停の上り方正面には、月賦販売店の先がけ「丸井百貨店」のビルがありました。後の「マルイ」O|O|ですね。
因みに当時の月賦百貨店は、「丸井」のほかに「緑屋」と「丸興」があって、「緑屋」は三軒茶屋の世田谷通り沿いにありました。
まだ「クレジット」なんて言葉が無かった時代です。

katsu さんのコメント...

tosiさん
様々な問題提起のコメントありがとうございました。
以前、小田急の下北沢駅地下化で戴いたコメント同様に、高速道路をここまでやらねばならないのか私も疑問を感じます。都市の道路を自動車最優先のままで良いのか? 目前に迫っている莫大な補修費用の負の遺産は?
近い将来、高速道路の寿命が尽きると都市の道路は今とは全く変わってしまうかも知れません。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
道玄坂から三軒茶屋の手前まで時が止まった246を歩いた、貴重な体験記をありがとうございました。
かっての思い出が消え去った沿道風景の変貌ぶりに正に「浦島太郎」がよく分かります。
かっての「石亭」辺りに今は高層の青葉台タワーが建っていましたが、沿道はどこもかしこもドでかい建築物で圧倒されますね。
遠い昔の広い道路はもう取り戻せないでしょうね。

katsu さんのコメント...

YamaChanさん
昔の玉電沿線の風景にはほんとうに沢山の思い出が詰まっているんですね。
多くの玉電エピソードを纏められると貴重な記録になると思います。
写真+エピソードで鉄道情景も楽しくなるものですが
私は沿線住民ではない「通りすがり」ですのでエピソードが無いのがさびしい限りです。

KS45 さんのコメント...

高速が出来て景観が悪化・・・
自分が生まれた時には既に高速が出来ていましたが、車で走っていると気分が悪く走りたくない道です。
蓋をされて圧迫感みたいな物を感じるからでしょうか。
渋谷から環八の手前まで通るのを避けてます。
玉電が走っていた頃は堂々とした大通りで蓋のされた様な今の246とは同じ道とはとても思えません。

katsu さんのコメント...

KS45さん
私は普段通らない道なのでこれほどまで変わったとは知りませんでした。
私も同じで、昔の246や大橋の光景が玉川通りで今の光景とは結びつきませんでした。
過去との対比で目印となるような箇所を探すのは一苦労で、
昔の大橋は完全に消滅してしまったのですね。

海獺 さんのコメント...

はじめてコメントいたします。
4年前の記事に今さらのコメントで申し訳ありません。

当方、平成6年から、平成15年秋に大橋ジャンクションの工事で立ち退くまで、
大橋車庫のすぐ横に住んでおりました。まさか玉電の車庫跡とも知らずに。
少し北側の駒場東大前が地元で、中学校の学区が大橋を含むため、
昭和56年ごろからこの辺りをずっと知っているのですが、
首都高がない&玉電がある風景を初めて見て、衝撃を受けました。
こんなにスッキリと広々とした通りだったのですね・・・

また、目黒川の大橋(橋です)の渋谷寄り(信号付きの横断歩道付近)に
少しお店が集まっているのを昔から不思議に思っていたのですが、
おそらく大橋電停があった場所なのですね。
本記事を拝読して、長年抱いていた疑問が解消されました!有難うございます。

大橋ジャンクションができる前は、
北側にスーパー丸正、南側に大丸ピーコックがあり、
大丸ピーコックの裏には飲み屋街のような小さいお店の集積がありました。

また、そのすぐ横に、ずっとニッポンレンタカー大橋営業所として使われていた
駐車場があったのですが、おそらくそれが大橋車庫への入出庫線跡だと思います。
玉川通りから細い道路に沿って、東急バス大橋営業所裏口ゲートに繋がるような
不審な形状をしていました。これも、本記事を読んで合点がいきました。

記事中、上から5枚目に「入出庫線があったのはこの辺りでしょう」という
写真がありますが、これよりも1つ三軒茶屋側の信号の渋谷寄りに、
現在は首都高関係者の出入口ゲートになっている場所があり、
ここがかつての入出庫線の跡だと思います。

https://goo.gl/maps/p8Xv6SKf4q62

平成15年以降、めっきり大橋に行く機会も無くなってしまったのですが、
何の因果か現在は玉電の残滓たる世田谷線沿線に住んでいます。

katsu さんのコメント...

海獺さん
大橋の車庫跡にまつわる詳しいコメントありがとうございました。
今の大橋ジャクションを訪問してブログにつけて4年も過ぎたとは! 月日が経つのが早いものです。

大橋車庫の出入り口の位置についてアドバイスありがとうございます。
そこにあった肉屋と薬屋の間から電車が出入りするのが面白く、大橋についてはもう1本記事にしてあります。
今となると4年前は写真も小さ過ぎで、大橋の記事2本を再編集してリニューアルしてみます。
大橋についてはこれまでも多くの方からコメント戴き、激変した土地に話題が尽きないでしょうね。

海獺 さんのコメント...

Katsuさん、レスありがとうございました。
ちょっと前から、東急沿線の駅に「大橋車庫の記憶」と題した
東急の企業広告ポスターが貼ってあり、それを見て興味を持ち、
検索してみた結果、本ブログに辿り着いた次第です。

後でPCを漁ってみましたら、大橋ジャンクションの工事が始まる直前の
2012年9月22日に撮影した大橋車庫跡の画像(1024×768)がありました。
それを見てみると、入出庫線が通っていた細長い駐車場の部分ですが、
道路との境界部分にコンクリート製の柵があり、
今にして思えば「いかにも線路敷っぽい」雰囲気でした。
(当時はまったく意識していませんでしたが・・・)

R246の角は、工事直前まで渋谷寄りの薬屋が残っていましたよ。
地方の商店街などで見かけるような昔ながらの店舗で、
だいぶ前から開店休業状態でした。
資生堂の看板が出ていたので、てっきり化粧品店かと思っていて、
店名も覚えていませんけども。

懐かしくも新鮮な写真の数々、共有いただいて有難うございました。

katsu さんのコメント...

海獺 さん
いろいろと大橋にまつわる情報をありがとうございます。
過去記事をどうリニューアルしようか考えているところです。
近々にアップしたいと思っています。