案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年2月3日日曜日

玉電風景 大橋から上通りまで

「大橋」から坂を上り道玄坂の「上通り」あたりまで進みます。


大坂上の陸橋から渋谷方面を見る. 大橋-上通り  1969.04.22
坂を上りきったところで道路は山手通りの交叉点を左にカーブする.
大坂上の陸橋から渋谷方面を見る.旧山手通りと神泉町で立体交叉する.2013年1月

神泉町交叉点の先を道玄坂へ向かう  1969.04.22
かっての広々としていた道路の面影はない神泉町交叉点 2013年1月

  道玄坂の通りを行く.電停「上通り」 1969.04.22
道玄宿、家具山水堂などの看板が見えるあたりで右へ曲がり専用軌道を下る. 拡大

道玄坂に入ると木立があり空が見える.この辺りに電停「上通り」があった.2013年1月

4 件のコメント:

YamaChan さんのコメント...

管理人さまは、先月玉川通り(246号)を再訪されていたのですね。
私は今でも、正月だけ「新町」の実家を訪れていますが、玉川通りは桜新町から上馬までしか通らず、
上馬から渋谷間はもう何年も通っておりません。

1枚目と3枚目のお写真に、「養命酒」ビルが写り込んでいますね。
余談ですが、私の父(他界)はかつて、そこからおよそ500mほど渋谷駅寄り246号沿いにあった、東急電鉄本社に勤務しておりました。

一番最後のお写真にある左の「200円」は、低料金理髪店で、その亡き父の行きつけ床屋でした。(笑)
またそのお写真の右側には、バイクのヘルメット屋さんがあって、高校生の時にそこで購入していました。
そのヘルメットは今でも持っているんですよ。

katsu さんのコメント...

YamaChanさん
あの写真の昔の風景に「養命酒」ビルや200円床屋など多くの思い出が詰まっていたのですね。
看板が見えるように最後の写真を拡大できるようにしておきました。
昔の風景の中にある看板を読むのは楽しいものですが、自分と縁があった場所は尚更ですね。

影武者 さんのコメント...

その時代ごとに進むべき発展、必要とされる施設があり、一概に「昔は良かった」という
懐古主義には同調できない部分もあるのですが、一連のお写真を拝見していると高速道路で
暗闇と化した玉川通り、これは間違いなく改悪でしょう。
高速道路も下道の立体交差も必要なんですけど、後世から見ると「作るにしたって
もうちょっと何とかならなかったのかな?」という思いに駆られますね。

日本橋などは地下化の構想もあるようですが、どうなる事やら。

katsu さんのコメント...

影武者さん
私も246玉川通りは「もうちょっと何とかならなかったのか」の思いで、
あの道路改造はやりたい放題やってしまってあとは後世でなんとかして、を感じてしまいます。