廃線直前の1969年4月に撮った玉電風景を中里あたりから三軒茶屋方面へ向かって追いかけてみました。この頃はまだ高速道路の建設前で玉川通り(国道246号)の空は広々としていた。
電柱に表示された電停名で「玉電中里」と分かる. →上馬方向.
専用軌道を三軒茶屋方面へ向かう. 三軒茶屋-中里
三軒茶屋方面へ向かう. 三軒茶屋-中里
三軒茶屋電停
満員の二子玉川園行き電車. 三軒茶屋
二子玉川園行き電停の向こうが分岐点. 三軒茶屋
三軒茶屋の分岐点を行く下高井戸行き.
9 件のコメント:
1969年春の玉川通りと廃止直前の玉電のお写真のなかに切り取られた光景は、細部についてはともかく、ぜんたいの雰囲気・空気感は私も記憶にとどめているような気がします。三軒茶屋をはじめとして街並みは大きく変化してしまいましたが、お写真のなかにみられるいくつかの建物が現存することを嬉しく思います。
Tosiさん
私は玉川通りは詳しくないのですが数年前に三軒茶屋で玉川通りを見て驚きました。
ここを通るのはいつも地下鉄なので私の頭の中で玉川通りはまだ1969年春のままだったのです。
昔の街並にあった建物を、今の街並の中に見つけると嬉しいものですね。
Katsuさん
先週は楽しいお話が出来てあっという間に時間が過ぎました。
またよろしくお願いします。
たまでんの沿線風景、車両と一緒に写りこんでいる風景や人々の仕草など、どれをとっても良いですね。
風景をうまく切り取るお写真、いつ見てもじ~んときます。
246がまだ人間のための道だった頃の景色、って感じますね~。近くに住んでいますが今の246は歩く気になりません。
Cedarが尊敬する2大巨頭、KC会談があったようで~凄いっすね。
Cedarさん
246ぞいは鉄道ファンが多いんですね。
昔はほんとうに世田谷らしい風情ある光景でしたのに・・残念ですね。
ひょんなことからchitetsuさんにお会いでき光栄でした。
chitetsuさん
先日はこちらこそありがとうございました。
現物の地鉄車庫裏風景を探してみます。
玉電風景は未スキャンの画像を主にこれから道玄坂まで向かう予定です。
変わり行く渋谷の今も撮っておかねば後で後悔しそうですね。
三軒茶屋に住んでいて上馬の小学校に通っていたのが60年前。三茶、中里、上馬の映像を見させていただいて思い出がそのままタイムスリップ。オープンデッキの鎖につかまって足がやっとステップに乗って通学した記憶もありますし、確かビューゲルになる前はポールだった記憶もあります。大学卒業するまで渋谷まで毎日乗っていた玉電。ほかの映像もおありでしたら是非是非お見せください。
ottoseiji さん
懐かしい玉電の思い出をありがとうございました。
三軒茶屋から上馬まで通学がオープンデッキの玉電とは驚きました。
私が撮ったのはそれから15年位後の廃線直前の風景ですっかり近代的な電車になっていました。
ブログはこれから多くの方が撮られている大橋、道玄坂あたりをアップして行きます。
懐かしい 玉電、下馬から 渋谷 二子玉川 砧などに良く乗りました往復で25円だったかな それでもお金がない時は歩いて渋谷まで行きました 確か20歳の時に廃線に成りました。
コメントを投稿