案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年1月19日土曜日

御殿場線 C11

国府津機関区のC112  1963年4月

御殿場線でいろいろとコメント戴いているmoro9さんにD52旅客列車が停車している駅名を調べてもらったところ、この駅の側線に砂利ホッパーが写っているなどで山北ではなく松田であることが判明しました。
当時、国府津にいたC11が国府津と松田間を1日数往復貨物を牽いていたそうで、松田駅の側線にあった砂利ホッパーはそれに使われていたそうです。そういえばC11の貨物列車が鉄橋を渡るところを撮った記憶があり、ネガを漸く見つけてスキャンしたところこんな光景でした。

松田へ向かうC11貨物列車が川音川の鉄橋を渡る.  松田-相模金子

松田を発車し小田急線を越えて直ぐ鉄橋を渡る国府津行列車   松田-相模金子
丹沢から流れる川音川はこの先で酒匂川に合流する.

松田駅の側線と砂利ホッパー
この駅が松田と判明したのは貨物線の砂利ホッパーと左手の電柱に小さく見えた「まつだ」の文字であった。
砂利降ろし用ホッパーの遺構を今も見る事ができる.

0 件のコメント: