案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年1月16日水曜日

御殿場線 非電化時代


富士を見て国府津へ下るD52403旅客列車   1963年4月

1934(昭和9)年に丹那トンネルが開通するまで、かっては東海道本線であった御殿場線.補機の蒸気機関車を連結してこの先の山北から御殿場越えしていた。遠い昔にあのマレー式蒸気機関車が御殿場線で活躍していたとは想像もつかなかった。

かっての東海道線本線の複線跡か.  山北-東山北 東山北-松田

夕暮れ時のD5270旅客列車  山北-東山北 東山北-松田
国府津から御殿場線の蒸機列車に乗って松田で下車、
松田から東山北まで夕方の沿線を歩いた。

ヘッドライトが綺麗なD52403が国府津から引き返してきた. 東山北-松田

国府津から乗ってきた沼津行き旅客列車. 山北 松田

松田 山北を発車し山北の先の御殿場越えに向かう

4 件のコメント:

moro9 さんのコメント...

「かっての東海道線本線の複線跡か.山北-東山北」とキャプションされた
気動車列車の写真ですが、撮影場所は松田駅の東山北寄りの切り通しと思われます。
従いまして、撮影区間は東山北ー松田ということになります。
当時は松田にある工場の物資輸送もあり、国府津機関区のC11がここまで乗り入れて
入換作業に従事していました。下りがバック運転で、上りが正規の牽引でした。1965年
くらいまで運転されてたのを撮影しました。

katsu さんのコメント...

moro9さん、
いろいろご指摘ありがとうございました。
全く記録をつけてなく撮影位置に自信がなかったのですが、
おかげさまでこの日は松田で下車し東山北まで徒歩往復したのが分かりました。
山北と信じていた下車駅がまさか松田とは思いもよりませんでした。

babacla さんのコメント...

通りすがりの者です。
1964年7月の夏の日、まさにD52牽引の列車に松田から御殿場まで乗りました。
高校1年生で、御殿場の陸上自衛隊音楽隊に吹奏楽部員として合宿に行った思い出です。
懐かしい写真ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

babaclaさん
コメントありがとうございました。
この写真の1年後に松田からこのSL列車に乗ったのですか。
遠い昔の50年近くも前のことで、この年はちょうど東京オリンピック開催でしたね。
高校生1年の時の思い出にお役に立てて嬉しいです。