案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年8月8日水曜日

本州の西端 彦島口

前回、雪の八高線石灰石列車の風景がありましたが八高線と西武池袋線が立体交差するこの場所を撮ったのが1967(昭42)年2月。そのネガのコマの隣に山陽電気軌道の彦島口が写っていて、雪の八高線を撮った2週間後は本州の西の果てでした。

先日、コメントを戴いた前田さんが子供の頃に母子でいらしたというのがこの山陽電気軌道の彦島口で、ネガで彦島口のコマを探ってみました。
前回紹介した山陽電軌彦島口はこちらにあります。

八高線と立体交叉する西武池袋線.  飯能-元加治 1967.02.13
八高線がこの先で西武線をオーバクロスする. 東飯能-金子 



前回アップした山陽電気軌道の終点「彦島口」の風景. 305と204   1967.2.27
この先の橋を渡った彦島で本州は終わる.左手に並行する山陽本線は彦島へ渡ってから関門トンネルにもぐる.彦島口の電車の右に切符売り場が見える。

左手に彦島口の切符売り場が見える. 305

これが切符売り場.
到着したのが朝早くでまだ売り場は開いていない.二列乗車をしましょう彦中生徒会、卒業記念展 下関中央工高美術部、巌流焼 彦島江ノ浦、電車回数乗車券発売所などの文字が読める。

窓口が開いてからここで買った乗車券でしょう.

マルハ工場前の通りを行く202
マルハ工場の出勤風景.502 大和町二冷前 

彦島口へやって来た様々な車両は

601と811
601
805

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

山陽電軌は関門海峡を挟んだ北九州線と対比すると地味な存在のまま消えていった電車ですね。北九州線にはせっせと通いましたが、こちらはとうとう乗る機会もありませんでした。土佐電鉄に行った車両は乗ったり撮ったりしましたが。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
確かに山陽電軌は地味な路面電車でした。
しかし沿線風景には変化があり車種も多くとても魅力溢れる路線でした。
見どころが多く撮影は1日では無理で、大変疲れた記憶があります。
対岸の北九州線は余りに巨大過ぎて
気力体力面で私にはとても手が出る路面ではありませんでした(笑)